小堀遠州の作庭と伝わる旧本坊の松濤園 戦後平成3年に修築された

写真

「松濤園」は、昭和11年(1936)に東京都旧跡に指定された約13,000平方メートルの池泉回遊式庭園です。桂離宮の建築と造園で名高い小堀遠州により作庭されたと伝えられており、慶応4(1868年)年3月、新政府軍の参謀西郷隆盛と徳川軍の勝海舟が、江戸城開城の交渉を行った史跡でもあります。(諸説有り)

朗峰会館テラスより見た松濤園
  写真右側には茶室「根庵」がある。陶芸家大野純阿の住まいと茶室を裏千家より寄贈されたもの。右の写真は池よりの水逃がしの小流、この流れは湧水が豊か時は弁天池に注がれた。
茶室「純庵」
 栗の木で作られた四畳の茶室である。茶室への道は三角形状の石が敷き詰められている。
 
写真写真
写真は手洗いの石。
写真写真
緩やかに登る小道
写真
↑●筆塚  
上の層塔は明治の日本画家、橋本雅邦の建てた筆塚。左の写真は、江戸の俳人「其角」の句碑。詳細は不明。下の写真は茶筅塚(ちゃせんつか)。
写真写真
下の写真は茶室「浄庵」入り口の面白い手洗い。瓢箪形の水出口が面白い。この茶室は、西郷と勝が会見したあずま屋の跡に再現されたと伝わる。
写真写真
茶筅塚 下は灯籠の色々
写真写真
写真灯籠笠写真
写真
左上は巨大な雪見型の石灯籠、下、石灯籠の火袋には逆立ちの獅子像、中台には十二支の彫り物。また、笠の部分が帽子を被ったようなおおきなもの、など変化に富んでいる。右上は笠部分が大きい石灯籠。
写真


池の中央付近にあるのは、亀島で右手には朗峰会館がある。松濤園は昭和20年(1945)の爆撃により破壊されたが、宗祖700年の記念事業として修復が計られ、平成3年(1991)に落慶された。
写真  松月亭の後ろの土手は、一メートルほどの大きな石で構成され、江戸時代に積み上げられた石積遺構を示していると考えられる。(右写真)
 
  2011年3月11日、東北大震災で松濤園も被害を受けたようで閉鎖されている。状況は分からない、池上本門寺の墓域でも多くの灯籠が倒壊している被害がある、おそらく頭の重い灯籠などが倒れたのかもしれない。その他には目立った被害はないようだ。現在は修復完了。

目次扉に戻る