義民六人衆の寺といわれる日蓮宗の寺 善慶寺と新井宿城跡
善慶寺写真
義民六人衆写真


善慶寺について
 正応4年(1291)、新井宿の住人増田三郎右衛門が日法上人に帰依して建立した。元は顕本法華宗に属していたが、12世日好から品川本光寺の末寺となる。途中昭和16年(1941)の三派合同で日蓮宗になる。横の新井墓苑には宿義民六人衆の墓がある。(下の写真)

新井宿城について
 写真右の善慶寺を通ると「熊野神社」の鳥居があり、急な石段がある。両脇には女坂があり登ることが出来る。この山は新井宿城跡であるという。「小田原衆所領役帳」に梶原日向守五十一貫文の記録にあるだけで詳細は分からない。

義民六人衆の越訴事件
 延宝元年(1673)の旱魃や次の年に起きた多摩川の氾濫で、農民は年貢の軽減を地頭の木原氏に願い出たが拒否された。そのため、困り果てた農民の代表6人が幕府に直訴を試みた、しかし、事前に捕らえられて斬首された。20世日応(1735年)が遺骸を引き取り、罪人のため墓を作ることは出来なかったが、密かに墓を造り弔った。


昭和50年代の寺域整備で参道にあった義民の墓は、右写真、墓地に移された、その時、地下から義民のものと思われる骨が木桶と共に発見された。現在、その桶は寺に納められている。

住所 山王3-22-16     目次扉に戻る