浅間神社社伝によれば創建は鎌倉時代の文治年間

浅間神社社殿


浅間神社は、
中原街道「丸子の渡し」付近にある亀甲山にある。神社の社伝によれば創建は鎌倉時代、文治年間(285-90)と言われる。この地に源頼朝の妻政子が正観世音を建てたことによる。承応1年(1652)に神社敷地より銅製の正観世音が発見された。神社には下沼部村の富士講石碑などもある。社殿は「桜の紋」をもつ浅間造りである。神社の展望台からは多摩川の流れと丸子の渡しが見え、鎌倉からの武士団は、この神社に集結して武運長久を祈願したのであろうか。

狛犬写真
狛犬写真

狛犬吽像


浅間神社の狛犬……
 狛犬の寄進は大正3年(1914)である、石工は「松原延太郎」とある。写真上二点は右の「子取りの阿像」、足下には、お椀らしき物にかぶりつく子狛犬がいる。下の写真は「玉取りの狛犬」で吽像である。
巻毛は直毛で柔らかく体に巻き付いている。

オオカミ狛犬写真写真、真ん中は「オオカミ狛犬」であろう。合祀されている「三峯神社」の狛犬である、一匹であり片足も失われている。大きさも足下の10円玉から分かるように、高さ30センチほどの 小さな像である。

勝海舟の筆になる富士講碑
 明治15年(1882)、食行身禄没後150年を記念した石碑、「食行霊神」の銘文である。奉納は下沼袋の山吉玉川講である、碑文は勝海舟による。(下の写真)

神社の斜面を富士の山に見立て「小御嶽石尊大権現」の石碑がある。その横に小さな祠が祭られている。この石碑の「大権現」が削り取られているのは、明治の神仏分離の影響を受けたものである。

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神社に登る鳥居と社殿に登る途中に鎮座している祠、山全体を富士山に見立てた冨士講のスタイルであろう。周りも富士山の溶岩らしき岩も配置されている。

社殿参道へ鳥居

合祀されている神社は、小御岳神社、稲荷神社、三峯神社、阿夫利神社の4社である。

神社は多摩川河畔の亀甲山にあり、古代から人の住む丘であった。その証拠に古墳はあるが、残念なことに発掘調査はされていない。住宅化する速度が発掘することを拒否したのである。写真は上流の登戸方向を見たところ、反対方向に中原街道の丸子橋があり、その川原が丸子の渡しであった。この付近は鎌倉時代から交通の要所として知られていた場所である。

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