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●勝海舟の筆になる富士講碑
明治15年(1882)、食行身禄没後150年を記念した石碑、「食行霊神」の銘文である。奉納は下沼袋の山吉玉川講である、碑文は勝海舟による。(下の写真)
●神社の斜面を富士の山に見立て「小御嶽石尊大権現」の石碑がある。その横に小さな祠が祭られている。この石碑の「大権現」が削り取られているのは、明治の神仏分離の影響を受けたものである。 |
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< ●神社に登る鳥居と社殿に登る途中に鎮座している祠、山全体を富士山に見立てた冨士講のスタイルであろう。周りも富士山の溶岩らしき岩も配置されている。
■合祀されている神社は、小御岳神社、稲荷神社、三峯神社、阿夫利神社の4社である。 |
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●神社は多摩川河畔の亀甲山にあり、古代から人の住む丘であった。その証拠に古墳はあるが、残念なことに発掘調査はされていない。住宅化する速度が発掘することを拒否したのである。写真は上流の登戸方向を見たところ、反対方向に中原街道の丸子橋があり、その川原が丸子の渡しであった。この付近は鎌倉時代から交通の要所として知られていた場所である。 |
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目次扉に戻る 住所 田園調布1-55 | |||||||||