●江戸時代の下丸子の鎮守様。 文歴元年(1234)の創建といわれる、「大田区の文化財」には荏原左衛門義家が六柱を祭ったのが始まりとある。狛犬左の台座には、名主 平川四○○○門、同 平川源○○門とあり、天保10年(1839)の奉納と言われる、驚くことにその刻印には続いて、昭和36年8月吉日修復の刻印がある、子孫の方であろう。修復は平川四郎左衛門、孫幾次郎とある。(↓下の写真)
●狛犬 右の台座には石工名がある。江戸時代の漢字か、調べてみると「つる」と読み、「鶴見橋」かもしれない。その付近に住んでいた石工であろう。また、奉納者であろうか「京橋 日野屋久兵衛、同久治郎」と刻印がある。 ●六所神社の狛犬はどちらも口を開けた阿像のようだ。右の写真が右の阿像で口を開けている、どちらも同じようだが右が優しそうな雌で、左がやや精悍な感じのする雄かもしれない。残念なことに素材の石がもろく、かなり崩壊の危機にある。 六所神社はこの地区の総社神社であったのかもしれない。合祀されている神社は5社、中には「すっとび稲荷神社」というおもしろい名前もある。 ●右の写真は左の阿像である、台座には刻印が見える。左の写真は同像の正面である。かなり劣化が始まっており、ところどころに剥落が見られる。