●上の写真は足元と背中に二匹の子供がいる。左写真は後ろでじゃれ合う二匹の子供がいる狛犬。合計4匹の子だくさん狛犬。
●熊野神社は新井宿村の地頭木原木工が、日光造営の棟梁つとめた関係から、その余材から造営られたという。社伝によれば、「平将門の乱」鎮圧に向かう藤原恒望の臣である熊野五郎武通が、戦勝を祈願したと言われている。 ●写真下の狛犬は、右の「子取りの阿像」である。明治35年(1902)「若者中」からの寄進である。大田区の狛犬には珍しく「舌」がハッキリと確認できる。子供は二匹、台座には石工の名前がある。「八幡石工 高橋弐右ェ門」とある。奉納は若者中で多くの名前が刻印されている。左右の狛犬とも「子持ちの阿像」であろう。
●上の写真は、庚申塔とキツネの石碑。悪いことをしたキツネを殺し封じ込めてあるので石を退かさないようにと書いてある。●階段を登ると参道が社殿に伸びている。上の写真は「入新井町誌昭和2年(1927)の口絵、拡大表示 熊野神社●神社祭りの時、神技として使われる「力石」である。
●上の写真は、庚申塔とキツネの石碑。悪いことをしたキツネを殺し封じ込めてあるので石を退かさないようにと書いてある。
●階段を登ると参道が社殿に伸びている。上の写真は「入新井町誌昭和2年(1927)の口絵、拡大表示 熊野神社