大正9年(1920)この地に移転した、稲荷(本町稲荷)神社


本町稲荷の変遷について……
 元は別の場所(南側の土手)にあったと言われるが、大正9年に長栄稲荷、玉造稲荷、田上稲荷の三社を合祀して現在地に移転した。創建について不明だあったが、創建について下記の資料を見つけた。

大田区編纂の『史話20号「大田区の民俗こぼれ話」』によれば、『大正期に入って、町内に鎮守が無いというのはおかしいということで、稲荷の4社を合併し、本門寺の南側雑木林を切り開いて社寺をつくり、現在の本町稲荷が創建されたのである』とある。
 また、『池上町史』(1932)によれば、長栄稲荷を合祀したとあるが、これは大正9年(1920)に「稲荷大威徳天」が分離して、山門近くの長栄稲荷は上段とされて「仏」の大威徳天となり本町稲荷は下段とされ、「神」の長栄稲荷が鎮座したのであるという。

雌狐
雄狐本町稲荷神社

上の写真は雄の狐、鞠に手をかけている。右の写真は、母親の足にじゃれる子狐がいる雌狐である。寄進は大正12年(1923)、残念なことに戦災によるものか雄狐の耳が欠けている。

本町稲荷は、車坂の登り口にあり分かり易いのだが、あまりお参りする人はいないようだ。右側に子狐を抱いた母狐、左側に父(雄)狐がいる。狐はネズミを好んで狩ったため農業国では「神使」として神社に狛犬として置かれた。神社前の道は古く、日蓮宗の寺がある所を越へて林昌寺、子安八幡、猿坂を登り荏原をすぎて目黒まで至るという、俗に目黒道と言われた。住所 大田区池上1-34-12
本町稲荷神社
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