●本町稲荷の変遷について……
元は別の場所(南側の土手)にあったと言われるが、大正9年に長栄稲荷、玉造稲荷、田上稲荷の三社を合祀して現在地に移転した。創建について不明だあったが、創建について下記の資料を見つけた。
●大田区編纂の『史話20号「大田区の民俗こぼれ話」』によれば、『大正期に入って、町内に鎮守が無いというのはおかしいということで、稲荷の4社を合併し、本門寺の南側雑木林を切り開いて社寺をつくり、現在の本町稲荷が創建されたのである』とある。
また、『池上町史』(1932)によれば、長栄稲荷を合祀したとあるが、これは大正9年(1920)に「稲荷大威徳天」が分離して、山門近くの長栄稲荷は上段とされて「仏」の大威徳天となり本町稲荷は下段とされ、「神」の長栄稲荷が鎮座したのであるという。