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●池上バス通りの大森駅山王口を大井方向に向かい、やや下った右側、山王神社に隣接してある。真言宗智山派 海光山円能寺、別称大森不動尊である。
寺伝によれば享保年間に荒廃した寺を再建、観音霊場、多摩川南北札所第三十一番として栄えた。付近から東海道につながる道もあり、江戸時代は平間寺(川崎大師)と共に行楽の道筋であったのではないか。写真のように不動尊の雰囲気が感じられる寺である。 ●墓域中央には、無縁仏となった人達の墓があり、周りを各種の仏様がお守りしている。中央には丸彫りの地蔵様二体、聖観音菩薩立像三体がある。左写真は聖観音菩薩立像で、中央は江戸中期頃の像と考えられている。他はハッキリしないが、右はやや腰を落とし、腹をやや前につきだしてような姿は、百済伝来の仏様のようである。(大田区資料、史話9号「大田区の石塔と石仏」) |
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綱差役とは…… ●獲物となる鳥(鶴など)の飼育には熱心で八代将軍吉宗が作り上げた職制である。六郷領不入斗村の餌差役が橋爪源太郎である、彼は明和元年(1764)に死去する、橋爪家は五代まで続き明治維新を迎えた。明治35年(1902)に六代目源太郎が鶴の供養塔「鶴墳」と先祖供養塔を建立する。大森山王にある円能寺墓域でも、ひときは広い橋爪家墓域である。 (「小松菜と江戸のお鷹狩り〜江戸の野菜物語〜」亀井千歩子著 彩流社 2008年刊 |
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住所 山王1-6-30 大森駅山王口近く | 目次扉に戻る | ||||||||