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●『江戸名所図絵 古川薬師』 斉藤幸雄著 長谷川雪旦画 天保5〜7(1834〜1836)大田区立郷土博物館蔵 |
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●「 六郷の渡し」からすぐ近くにあり、参拝で賑わっていたという。本殿は正徳5年(1715)の建築である。宗派は真言宗智山派である。 |
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●古川薬師道道標(写真右)が置かれていたのは、東海道の雑色村から多摩川沿いに向かう道の分岐場所である。当寺の道しるべであった。「六郷の渡し」から東海道を上りすぐにある。川沿いの道は、筏を運んできた筏乗りが青梅に歩いて帰る道であり、別名「筏道」と言われている。道標(角柱型)の高さは173(高さ)×36(巾)×28(奥行)センチの大きなものである。造立は延宝2年(1674)古川村の人々による。 ●道標の正面には、上部に梵字のマークと『古川 薬師如来江之道 六郷之内古川村・別当安養寺』、右側面には『是よりふる川屋くし江のみち』、左側面には『これより里ふ類かわやくしへ乃ミち』と刻まれている。もう一基古川薬師への道標があったが失われた。また、銀杏搾取・折取禁制石」元禄3年(1690)御利益を得るためにイチョウの木を削り取ることを禁止する道標もある。 |
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●冨士講碑について…… 当寺の冨士講碑は正面に112名の講元名と講紋を刻んでいる。年代は江戸末期頃である。石碑の背面には当寺の「百味供物講社」名も刻まれている。「百味供物講社」とは薬師の宝前に百種の供物を献じ、神体健全、病即消滅を祈願するものである。富士講碑と灯籠(1690) |
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●古川薬師(安養寺)正面、左のやや上り坂を登ると多摩川土手になる。昔は洪水の危機に怯えていたことであろう。 |
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●川瀬巴水の版画 『暮れゆく古川堤』大正8年(1919)初夏、描かれている舟は川砂を運ぶ「砂利舟」である。 |
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住所
大田区西六郷2-32-10 太田目次扉に戻る |
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