武蔵野台地南端の湧水の池……千束池
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宇治川の合戦で、源氏の武将佐々木四郎高綱が一番乗りの栄誉に輝いた。その時の乗馬「名馬池月」の銅像(平成9年)
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洗足池には、『勝海舟の墓』や別荘跡もある。中原街道は古く五反田付近で国道一号線に合流する。徳川家康も江戸から駿府に帰るとき好んでこの道を使ったという。この頃は相州中原道と言われた。起伏が多く、雨が降ると難儀をするため、大正時代に改修工事が行われた。前に東急池上線の洗足池駅がある。洗足池のすぐわきは中原街道である。

左の写真は、千束駅裏側より流れ出ている洗足池からの水である。昔から言われている「千束流れ」である。流れは裾に沿い「道々橋」近くまで流れる、そこより暗渠になり、おそらくは呑川に放水されているのではと考える。

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