明治初期の大田区域地図 
製作 陸地測量部・参謀本部陸軍測量部 二万分の一C

明治の地図(1880年頃)の大田区 「国土地理院地図」製作は1880年頃 
大田区郷土博物館蔵
 
この地図は、明治になり近代的な測量による地図である。原図は2万分の一で造られ、品川駅・羽田村・二子村・川崎村の4枚集成だが、上の地図は大田区部分の拡大である。
  明治初期の池上道(平間街道)を見ると、光明寺の所で「平間の渡し」と「矢口渡し」に分岐している。また、多摩川の流路もずいぶん変わっており、中世には光明寺から新田神社あたりを流れていたらしい。その証拠に、別の地図の光明寺から矢口の渡しに至る道は、古い堤防沿いになっている。そのため、渡しの位置は時代により、川沿いに移動している。「平間街道の渡し」「矢口の渡し」は昭和24年まで、すぐ脇に現在の多摩川大橋が完成するまで、細々であろうが使われていたのではないでしょうか。また、現在、河口近くの大曲は改修されている。
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