国芳は見る人に微妙な感情を起こさせる、「動いている」錯覚を生じさせる


東都名所は10図と言われるが、並べて見るといくつかの揃いがあるようだ。東都名所の題簽(だいせん)の位置から分けてみると左にあるのが「両国の涼」「佃橋」「両国柳ばし」「州崎初日出」の4枚。右にあるのが「鉄砲州」「かすみが関」「するがだひ」「疹吉原」の4枚。「大森」と「浅草今戸」は別扱いの気がする(私見)。


「東都名所 両国の涼」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)版元・加賀屋吉衛兵 天保年間 東京国立博物館蔵 


この東都名所「両国の涼」でまず目がいくのは、左側、涼み屋形船の微妙な傾きである。右の物売り舟から船頭が手を掛けたために引き寄せられ傾いた。また水面には物売り舟の提灯が写っている。右からは石尊垢離(大山講に向かうために水垢離を行った)の一団が泳いでくる、先頭の男は札のようなものを掲げている、男達の上には花火の残り火が落ちてくる。右の赤い提灯は大山講の水垢離集合場所を示す。物売り舟の後ろ遠くに花火打ち上げ舟が見える。近景、中景、遠景と見事に構成がとれている。
 
  この絵で一番不思議なのが、空間の時間表現である。一番手前は未だ明るい午後4時頃か、中景は花火を打ち上げる舟がいる夜景であるはずだが、反対に一番明るい、背景の山並みもくっきりと見える、何故明るくしたのだろうか。暗い上部の花火が水面を明るくしている事なのだろうか、不思議な浮世絵である。私見だが中景を暗くすると奥行きがなくなり、おもしろみが半減するためか。 この「東都名所」シリーズ10図と「東都○○之図」シリーズ5図は歌川国芳風景画の傑作である。


「東都名所 鉄砲州」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)版元・加賀屋吉衛兵 天保年間 東京国立博物館蔵

東都名所「鉄砲州」は、これが名所かと思われる風景である、釣りの名所かと聞こえてきそう。絵としては、釣人の座っている石に寄せる波が動きを感じさせるのが見所。国芳特有のひねりもなく、遠景も平凡で人気が出なかったようだ。

佃橋の下を潜る猪牙舟(ちょきふね)に、上からお札のような紙が落ちてくる。『川施餓鬼と言った水難者の冥福を祈る御札である』(「歌川国芳 生涯と作品」悳俊彦著 東京美術 2008年刊)川には食いかけのスイカが漂い、右には鍋の二のようなものも漂っている。国芳の構成が見事である。


「東都名所 両国の涼」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)版元・加賀屋吉衛兵 天保年間 東京国立博物館蔵
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右の浮世絵「江戸名所之内 隅田川夕涼」一勇斉国芳(歌川国芳)嘉永5年(1852)国立国会図書館デジタル化資料
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「東都名所 両国柳ばし」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)版元・加賀屋吉衛兵 天保年間 
大英博物館所蔵 拡大表示

小僧を連れた芸者らしき女性が、犬の喧嘩をこわごわと見ている。空には今だ星が輝き、朝明け直ぐと思われる。バックはいたぼかしの薄雲とシルエットの町並みが浮かび上がる。

「東都名所 州崎初日の出」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)版元・加賀屋吉衛兵 天保年間
 大英博物館所蔵 拡大表示


州崎の朝明けである。芸者の2人は高台から見ながらどこかに行く様子だが、おそらく海辺であろう下には、大勢の人が日の出を喜んでいる。するとこれは正月元旦の風景かも知れない。光の描写は大胆である。右の浮世絵は、有名な歌川広重の名所江戸百景の「州崎10万坪」である。拡大表示 国立国会図書館デジタル化資料


「東都名所 新吉原」絵・渓齊英泉版元・加賀屋吉衛兵 天保年間 大英博物館所蔵 拡大表示
「江戸八景 吉原の夜雨」絵・一勇斎国芳(歌川国芳)」名主単印・渡辺庄右衛門 弘化年間 
国立国会図書館デジタル化資料 拡大表示
吉原に向かう衣紋坂あたりである。番傘に「山本」と書かれているが、これは宣伝である。吉原の茶屋の屋号である。

吉原に向かう衣紋坂あたりで談笑する男達、右には二匹の犬が寝転んでいる。日本は気候が湿気を含んでいるため、朧月夜に成ることが多い、ぼんやり見える月を円で表現するとは面白い。

「東都名所 浅草今戸」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)版元・加賀屋吉衛兵 天保年間 大英博物館所蔵
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今戸は、現在の台東区の北東部にあたる、今は見られなくなったが江戸時代には今戸焼きで有名であった。始まりは古く安土桃山時代あたりらしい、招き猫はここで作られた。絵は今戸焼きを焼いているところ。

「東都名所 大森」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)
版元・加賀屋吉衛兵 天保年間 国立国会図書館デジタル化資料 

浅草海苔で知られる海苔は、今の鮫洲から品川・大田区の海辺で栽培・採取された。ベか舟と呼ばれた小舟に乗り、海に立てたヒビから海苔を取る女性。大田区の海苔

名所江戸百景 鮫洲」歌川広重
安政3年(1856)から安政5年(1858)版元・魚屋栄吉 拡大表示  国立国会図書館デジタル 化資料
「東都名所 かすみが関」絵・一勇斉国芳 改印・天保年間 版元・加賀屋吉右衛門 
東京国立博物館蔵


右の白壁と海鼠壁(なまこかべ)は大名屋敷である。おそらく筑前福岡黒田藩と思われる。反対は安芸広島藩浅野家らしい。海鼠壁下の規則正しく並んでいる半円形の石が、どんな役割をするのか判らない。想像するに、壁にぶつからないようにするため、車輪止めか。空の雲も国芳らしい形である。昼の太陽を意識して人の影が真下に落ちている。上記の3点以外に、「新吉原」「両国柳ばし」「するがだひ」などがある。

左「東都名所 かすみが関」絵・一勇斉国芳 改印・天保年間 版元・加賀屋吉右衛門 東京国立博物館蔵

右「東都名所するがだひ( 駿河台)」絵・一勇斉国芳 改印・天保年間 版元・加賀屋吉右衛門 国立国会図書館デジタル化資料 顔に当たる網笠の陰も表現されている。

「江戸名勝図会」絵・2代歌川広重 文久2年(1862)、全部で28景
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駿河台で江戸時代は高台で御覧のような谷である。今では見ることのない風景である。虹の向こうに江戸湾が見えた。右は二代広重が描く雪の昌平橋付近。

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