御開帳の境内で売られていたと推測する、バラ売りされていた日蓮上人の浮世絵


「名所江戸百景 芝浦金杉橋」歌川広重 版元・魚屋栄吉(安政3年から5年)、江戸名所百景は、安政の大地震で荒廃した江戸の復興を願った作品である。画中に描かれているのは日蓮宗団信徒の行列である。

江戸の出開帳(でがいちょう)

「名所江戸百景 回向院出開帳」歌川広重 版元・魚屋栄吉(安政3年から5年)2枚揃い。

江戸の出開帳と言えば、特に山城国清涼寺、信濃国善光寺、下総国成田山新勝寺、甲斐国身延山久遠寺が有名で、江戸出開帳の「四天王」と呼ばれていた。山城国清涼寺と信濃国善光寺は回向院で出開帳を行い、成田山新勝寺は深川の永代寺で、日蓮宗久遠寺は同宗の深川浄心寺で行うことにしていた。「当時の江戸は祖師や鬼子母神を始めとする法華の祖師・守護神が勧請され流行っていた様子が記されています」、久遠寺の出開帳は江戸期だけで10回行われています。
江戸の人々にとって「出開帳」や「霊場参詣」は、仏教諸宗派の宗祖や寺社の縁起や神話など信仰にまつわる各種の物語や情報に接する貴重な場になっていたのである。最初は画にあるように信仰の行事を行い、次に境内や寺の廻りにある見世物小屋や屋台に繰り出したのである。これらの屋台などは、人を集めるための装置として必要な要素であった。

下の浮世絵は、旧家から流失したもので、題材から日蓮宗祖師日蓮の法難の一場面であろうと思われる。薄い和紙に摺られており、赤の化学染料の発色から江戸末期頃の浮世絵と思われる。明治になり海外より赤の染料が入り、鮮やかな赤となり厚手の和紙に摺られていた。江戸末期頃、日蓮宗本山久遠寺の御開帳や日蓮宗の各寺縁日で売られていた浮世絵であると推察する。(参照・「江戸の法華信仰」望月真澄 図書刊行会)


「龍ノ口法難」刑場で首を刎ねられようとした時、光が現れ武士を直撃して刀を折った。光は雷で表現されることが多い。文永8年(1291)「馬込と大田区の歴史を保存する会」所蔵


「依智星降」又は「星下奇端」相模国愛甲郡依智に逗留した時、日蓮が庭の木に祈ると、明星天使が現れてこれより先の守護を約束する。年代不詳 「馬込と大田区の歴史を保存する会」所蔵


「松葉ヶ谷召捕」文永8年(1271)9月12日午後4時頃、侍所の所司である平左衛門尉頼綱は、武装した兵士数百人を引き連れて、鎌倉名越にある松葉谷の草庵を襲いました。この襲撃で日蓮聖人は捕えられ引き連れられる日蓮上人の姿。「馬込と大田区の歴史を保存する会」所蔵


「上人利益蒙古郡敗北」文永11年(1274)年と弘安4年(1281)の2度にわたって、日蓮聖人が予言していた通り、蒙古軍が日本を襲ってきました。対馬、壱岐の人を殺害し、ついに九州の筑前・肥前などから上陸を果たし各地を襲撃しました。蒙古の船に果敢に挑む様子が画かれています。「馬込と大田区の歴史を保存する会」所蔵(参照・立正大学図書館ホームページ「日蓮聖人」) 東京国立博物館所蔵(高僧御一代略記)写真

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