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●『高井鴻山(1806〜1883)の金銭出納帳「重脩堂主人」(じゅうしゆうどう)から、北斉が没してから四年経た嘉永六年(1853)三月の時点で、栄女が北斉の死地・浅草聖天町に住んでいることが分かる』『栄女小布施の鴻山へと「極細密 菊之図 絹本」が届けられた。』『鴻山は、嘉永6年(1853)に栄女から絹地・極彩色の着色の「菊之図」を2両2分で買取り礼金を送っている。』『高井鴻山伝』(
昭和63年12月)に記録(注・久保田一洋) 左の絵は、葛飾応為が送った『菊図』。北斉の死から数年、応為になされた注文であろう。現在作品は高井鴻山作と記載されている。この印章には押された時期が不明であるとの説もある。 ●高井鴻山の金銭出納帳『重脩堂主人』から応為の「絹地 菊之図 極歳密着色」(左の絵) |
●「菊図」款記 (右幅)八十八老人卍筆 (左幅)齢八十八歳卍筆 印章「葛しか」白文方印 絹本 着色 双幅 (各)95.5×31.4p 一般財団法人 北斉館蔵 ●上の二点は小布施町の「一般財団法人北斉館」所蔵の菊図である。上部に北斉の落款があるが、不自然で後から入れられた可能性があると言われ、詳細は不明である。私見だが葛飾応為と思いたい。 ●制作年代……弘化二年(1845)小布施で描かれたか。 |