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●『ユング心理学とは、スイスの精神科医・心理学者のカール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)が提唱した心理学のことを指します。 ユングは、「集合的無意識」といった新しい概念を生み出し、“無意識”の領域を明らかにしています。 人の心の働きは意識のコントロールや認識を超えた“無意識”の働きが大きく影響する。このように、自分自身でも意識ができない部分が大半を占めているという考え方に基づく心理学、それがユング心理学です。』(ウィキペディア) ユングの言う無意識は二つに分類されます。『個人的無意識』と『集合的無意識(普遍的無意識)』です。この二つのバランスで人間の心は平静を保つと考えています。また、集合的無意識は『元型』とも呼ばれ、人類が太古から受け継いだ精神です。普段は表れてきませんが、歴史の変動や個人の大事に表れ、人々をある方向に誘導します。ヒトラーがアーリア人の優越を説きドイツ国民を戦争に導いたように、集団無意識が大きな流れとなり、第二次世界大戦となります。 ●代表的なユングの元型 @ 影(SHADOW)A ペルソナ(PERSONA)B アニマ(ANIMA)Cトリックスター(TRICKSTER)D老賢人(OLD WISE MAN)Eグレートマザー(GREATMOTHER) ●影の元型とは、ユング心理学では自身の影を否定せず,その人を形づくる心的エネルギーの一部と考え,正面から上手く捉えれば、心はもっと深く豊かで創造的なものになると考えます。影を意識の中に取り込み統合して,新たなる可能性を引き出していくのがユング心理学です。 北斉の死後、葛飾応為も職人仕事から離れ、自分の作品(肉筆画)を描くことを始めたとき、彼女の無意識が浮かび上がってきました。無意識との対話を始めたのです。その結実が『吉原格子先之図』(よしわらこうしさきのず)です。 ●ユングの分析心理学で考える、「吉原格子先之図」は不思議な画である。 「吉原格子先之図」款記 三つの提灯に「應」「為」「榮」印章なし 紙本 着色 一幅 26.3×39.8p 太田記念美術館蔵 不思議な影は何を訴えているのか。 葛飾応為が「一皮抜むけた」と思った。提灯の影を付けた事である。浮世絵に影は付けない。影を付けることによって現実感が出来る。応為は暗闇と影を手に入れた。
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《影について描いた映画、童話、伝説、日本のことわざ》 「影の現象学」河合隼雄著 紹介 ●『ビューティフル・マインド』(A Beautiful Mind)は、2001年のアメリカ合衆国の伝記映画。監督はロン・ハワード、出演はラッセル・クロウとジェニファー・コネリーなど。ノーベル経済学賞受賞の実在の天才数学者、ジョン・ナッシュ(1928〜2015 交通事故)の半生を描く物語。 ナッシュは幻想を見るようになった。幻想はナッシュには、現実の人間と変わりのない姿で写る。映画では他の人には全く見えない事が暴露され、見ていた者にはショックである。ナッシュは自分の影に完全に飲み込まれてしまっていたのだ。妻の助けにより幻想(分身・影)から逃れ、ノーベル賞を受賞する。授賞式で妻に感謝を述べるナッシュ、ドキュメント物語である。 |
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●『戦場のメリークリスマス』(英: Merry Christmas, Mr. Lawrence、欧州公開時の外国語題: Furyo)は、大島渚が監督した映画作品である。ビートたけしが日本軍の軍曹を演じている。 ローレンス・ヴァン・デル・ポスト原作の「A Bar of Shadow」で『ハラ(ビートたけし)は生きた神話なんだ。神話が人間の形をとって現れたもんなんだ。強烈なヴィジョンが具現したものなんだ。日本人を一致団結させ、彼等の思考や行動を形づくり、強く左右する、彼らの無意識の奥ふかく潜むヴィジョンの具現なんだ』(「影の現象学」から)。 |
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●ハンス・クリスチャン・アンデルセン(H.C.Andersens)著 『影法師』(“The Shadow” 1847年) ●寒い国から南の暑い国にやって学者が、自分の影が向いの家のバルコニーに映っているのをみて、冗談半分に自分の影法師に、向い側の部屋に入って様子をみては言うと、本当に影法師が家の中に入っていった。 影はどこかに行った、学者は影を無くしたまま故郷に帰る。後に、影法師は立派になって帰って来た。影法師は学者に向かい『入れ替わろう』と提案する。学者は承諾する。 影法師は王女と結婚する。影法師は学者自身をも疎ましい存在として消し去ったのである。『学者はこの賑わいを何もききませんでした。なぜなら、もうとうに命を奪われてしまっていたからです』 アンデルセンは影(自分の分身 魂)を失うことが、人間として如何につらいことか教えています。 |
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●本は昭和51年「思索社」より出版された。学園闘争が激しかった時、学生だった私は偶然に本を購入した。驚いた、内容の分析心理学の面白さに惹かれた。カメラマンを目指していた私に、影との関わりを教えてくれた。不思議なことに、影を気にすると向こうからやってくる。今は廃業したコダック社が、撮影のライティングマニュアルを教える本があり、手に入れた。日本人とアメリカ人とはライティングの考え方が根本的に違う。日本人は光を前から当てるが、コダック社マニュアルには、一番の基本はバックライトだと明記されています。主人公を浮かび上がらせるのはバックライトと教えている。文化の違いらしい、日本は「歌舞伎ライト」と言われる前方・天井から当てるライティングで影は目立たない。反してアメリカのライティングは、まずバックから対象に光を当て立体感を作る。それから前より補助光を当てる。この方が確かに主人公が浮き上がる。洋画でも悪人やサターンの登場場面によく使われるバックライトである。 ●本書の「あとがき」は小説家・遠藤周作氏(1928〜1996)である。 氏は『私のように少年のころから古い型の基督教(きりすときょう)の教育を受けた者には人には言えぬ悩みがつきまとっていた。その悩みは大まかに言うと、自分は二重人格ではないかと言うことだった。』遠藤氏は自分が偽善者だと自己嫌悪に苛まれていたという。『影は、私の分身なのである。もう一つの私であり、私とそっくりの内づらをした男だったのだ。』本は西欧的な思考方法が正しいと信じていた私に、東洋思想や仏教の教えを気づかせる起点となったと言われる。また、無意識は、私に想像力をあたえてくれる、創造的な仕事、芸術家の協力者であるとも述べられている。 『沈黙』1966年、遠藤習作の代表作である。江戸時代初期のキリシタン弾圧を描いた作品。島原の乱が終わった後、日本にやってきたポルトガルの宣教師ロドリコは、キリスト教信者に加えられる拷問に、神は何故なにもせず沈黙を守るのか。彼の信仰も揺らぐ、背教の心が生まれる。キリスト教殉教者の苦悩を西洋文明と日本文明の違いから探ろうとする長編小説。第2回谷崎潤一郎賞を受賞した。外国でも問題作となった。 |
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●江戸時代 日本の影伝説…… 1.「影の煩」(かげのわずらい)、熱病の一種で「高熱を発した病人の姿が二つに見え、どちらが本体でどちらが影かわからなくなる」と言う。影の病 離魂病」とも言われる(精選版 日本国語大辞典) 2.「影取池」、足利市の水仕神社の縁起には、下女は長者の家の赤子の子守をしていましたが、ある年の田植えの時期に、主人夫婦から預かっていた赤子を死なせてしまいました。そのため狂乱状態となった下女は、近くの池に投身自殺をしてしまいました。それ以後、池の淵を通る人の影が水に映ると、影を池に呼び込む、すると人も池に引き込まれてしまったと言います。以後、その池を「影取りの池」と呼ばれました。 3.多摩市 唐木田 影取池のおはなし。伝承では、池に自分の影が映ると引き込まれ、姿が見えなくなりました。大蛇の仕業とか言われました。又は、南北朝時代に落城した小山田城から逃れた姫と侍女13人が池に身を投げたと言われています。そのた祟りと噂されました。江戸時代に坊さんに供養を頼むと、姫達が現れ御礼いい天に昇り、以後、悲劇は無くなりました。(『標柱 影取池伝説』) ●昔から影についての格言…… 1.「影が薄い(かげがうすい)」、存在感がなく、目立たないさま。 また、元気がなく、長く生きられないように見えるさま。現在でもよく使われる。 2.「影が差す(かげがさす)」不吉で、よくない兆候が現れること。 3.「影も形もない(かげもかたちもない)」、そこに人や物が存在していたことを示すものがまったくない。跡形もない。 「影も形も見えない」ともいう。 4.「影を落とす(かげをおとす)」光がさすこと。 光が投げかけられることによって影ができることから。 転じて、影響を及ぼすこと。
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