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●穴守稲荷神社は占領軍により要島から強制的に移転を命じられ、いったん羽田神社に合祀されたが、昭和23年(1948)土地の寄進を受け現在地に移転した。昭和40年(1965)には拝殿が再建された。 | |||||||||
●稲荷社では神使(しんし)である狐の神狐像。 稲荷社であるので狐が狛犬である。右は子狐をかばう母親狐であろう。左は目の鋭い父親狐か。奉献は深川大盛講(昭和11年5月)。その後、昭和39年にここに移築された。 ●戦後、参詣講社は激減した。現在ではわずか30数社であるという。現在、穴守稲荷神社は個人の崇敬者を募集している。 ●写真は神楽殿(昭和43年) ●右は昔競馬場があった名残か、穴狙いの「必勝稲荷社」である。 ●上は昔競馬場があった名残か、穴狙いの「必勝稲荷社」である。 右には「開運稲荷」の狐様、口にくわえているのは巻物らしい、いかなる意味があるのか。 ●上は開運稲荷 右には「出世稲荷社」がある。 |
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住所 大田区羽田5-2-7 最寄り駅 京浜急行空港線 穴守稲荷駅 次のページに続く 目次扉に戻る |