『百鳥図残欠』一軸 写本 栗本丹州・絵

栗本丹州(1756〜1834)は、江戸時代中期から後期にかけての医師(幕府の医者)、本草家栗本昌友の養子となる。寛政元年(1789)に奥医師(幕府の御殿医)となり、天保元年(1830)に法印・瑞仙院になる。
  医学館で教える。医学館(明和2年)とは、幕府が神田佐久間町に開いた漢方医学校である。寛政3年(1791)に幕府直轄の医官養成校となる。著作は日本で最初の昆虫図説『千虫譜』(彩色写生図集)がある。
『文政6年3月19日(1823年4月26日)、江戸滞在中のシーボルトを訪れ、『蟹蝦類写真』『魚類写真』を贈ったが、これらは西欧に持ち帰られ、ウィレム・デ・ハーンは『日本動物誌(英語版)』甲殻類編に記載した内31種を『蟹蝦類写真』に拠っている。』(ウィキペディア)



『百鳥図残欠』は、和紙に描かれたのを軸に貼り込んだものです。栗本丹州の『百鳥譜』の残欠で、内外の珍しい鳥が21種類描かれている。(国立国会図書館デジタル化資料)


「カブトドリ 蘭名・ゴローンホール」天明7年(1795)にオランダ船が持ち込んだ鳥である。国立国会図書館デジタル化資料 

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