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●長田忠致の館で謀殺される源義朝
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●源頼朝の鎮魂……父・義朝の鎮魂 |
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●「平治物語絵巻(三条殿焼討)」模本・狩野栄信・狩野養信・養福 江戸時代、部分 ボストン美術館本の模写 東京国立博物館所蔵 ●信頼側の戦力は、三条殿襲撃に参加した源義朝・源重成・源光基・源季実、信西を追捕した源光保らの混成軍であった。義朝配下の軍勢は、子息の義平・朝長・頼朝、叔父・義隆、信濃源氏の平賀義信などの一族、鎌田政清・後藤実基・佐々木秀義などの郎等により形成され、義朝の勢力基盤である関東からは、三浦義澄・上総広常・山内首藤氏などが参戦したに過ぎなかった。ウィキペディア(Wikipedia) ●画は戦いに敗れ、都から脱出するところである。中央上部の武将が源義親である。 ●源義朝は、東国の武士の棟梁として武士団を掌握していたが、平治の乱で敗死した。そのため棟梁を失った東国武士団は、平氏の配下に付いた。東国の秩父武士団も平家につき、頼朝の挙兵により混乱し、平氏につくもの、源氏につくものに分かれた。 |