源頼朝は常陸の国(千葉)から両国の沼地を渡り鎌倉を目指す

地図は台東区ホームページに加筆制作した。
渡船について(祖先の地である鎌倉へ源頼朝の進軍路)

『承和二年(835)東海・東山両道の河川の渡河設備の充実がはかられている。この中で渡船の数を下総国の太日河(ふとひ・江戸川のこと)が2〜4艘、武蔵野国の岩瀬河(多摩川)が1〜3艘、総武国境の住田河(隅田川)が2〜4艘に加増されている。』
『東京都の歴史』竹内誠・古泉弘・池上裕子・加藤貴・藤野敦著 山川出版社 1997年
矢印ー1は沼地らしく、船か筏で渡ったようである。足利尊氏の時には、直接渡河できたようである。江戸時代の浮世絵には筏の渡河風景が描かれている。

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