武蔵国六郷領の狩り場「新井宿」で不審死を遂げる徳川家基


江戸時代武蔵国六郷領の地図、青い部分が八代将軍吉宗の御狩場(御拳場)である。現在は、新井宿と不入斗村が一緒になり、入新井宿となっている。折り込み地図(『入新井町誌』入新井町誌編集部・編集 岩井和三郎発行 昭和2年刊 非売品)
徳川家基(1762〜1779年)徳川記念財団蔵
安永8年(1779年)徳川家基は大田区新井宿の御拳場(おこしば)で鷹狩りをたのしんだ後、旗本木原邸にて休息した。帰路についた途中の東海寺で猛烈な腹痛に襲われ、帰城した3日後に死亡した。家康所縁の「字」家を名乗った期待の次期将軍候補であった。田沼意次の批判をしていたため、意次の暗殺ではないかとの噂が起きた。父である徳川家治は家基の死に衝撃を受け、生きる力を失った。
「徳川実紀」(通称・徳川実記 浚明院殿御実記 徳川家治の記録 5巻)によれば、「安永8年鷹狩りを楽しんだ後、品川東海寺にて体調崩し帰城後、死亡」と記録する。
人気小説「居眠り磐音 夏燕ノ道 江戸双紙14」にて日光に参詣する家基の姿を描く、シリーズ前半は家基の期待を描いていると言っても良い。 
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