絵に描いたような鎌倉武士、人気があった仁田四郎忠常


「芳年武者旡類 仁田四郎忠常」画・月岡芳年  明治16年から19年刊

「新形三十六怪撰 仁田忠常洞中に奇異を見る図」 画・月岡芳年
仁田忠常(1167〜1203)通称・四郎 鎌倉初期の武士(伊豆)仁田 忠常は頼朝挙兵始めから源頼朝に従い、御側に仕え数々の武功をたてる。江戸庶民に人気があり、浮世絵になっているのは「富士の巻狩での猪退治」。「曾我兄弟の仇討ち」では、頼朝暗殺とも思える寝所侵入を防ぎ、曾我兄弟の兄時政を切り捨てる。仁田忠常は東国武士らしく命令に忠実であった。
源頼朝の死後も二代将軍頼家に仕え、上記二枚の浮世絵は、頼家の命令により富士山麓の洞窟を探る様子である、洞窟は浅間大菩薩が住むと言われた所である。

月岡芳年は「新形三十六怪撰」で怪異・不思議を取り上げた浮世絵シリーズをつくった、吾妻鏡に載る忠常の話を取り上げた浮世絵である。 仁田忠常の人生も、鎌倉時代を象徴するように血で彩られ、彼自身も謀反を疑われ誅殺された。源頼朝の死後、彼が信頼した御家人が誅殺などで死んでゆく。鎌倉幕府頼朝三代の滅亡を暗示する内紛である。

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