ー江戸時代の見世物小屋……美しい鸚鵡(オウム)や鸚哥(インコ)ー
2014.12.19
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江戸時代を通して庶民に人気のあったのは見世物である。江戸名所図会などに見る両国河岸の見世物小屋は、歌舞伎と双璧をなす江戸の娯楽場である。歌舞伎がファッション情報発信として婦女子の人気とすれば、見世物は大人から子供まで老若男女を問わず人気のある娯楽である。
 見世物を見ることは、娯楽と共に御利益があると信じられたのである。異国の見ることの出来ない動物は見るだけで霊験新たであった。有名な話であるが、八代将軍吉宗は長崎の出島にゾウの牡雌がもたらされたと聞くと、そのゾウを江戸まで運ぶように命じている。陸路を長崎から江戸まで将軍上覧のため歩いてやって来た。一頭(メス)は残念なことに途中で死亡したが、一頭は一年がかりで江戸に到着する、浜離宮で将軍上覧のあと民間に払い下げられ見世物になった。ゾウの糞までが有り難い薬になったという。これ以後、ますます見世物は盛んになりラクダやヒョウ、綺麗な鳥などが見世物になった。ラクダやゾウは人気があったようで幾度も見世物になっている。幕末に見世物になったインド象は見世物史上最高の興行成績であった。その頃の江戸では、夫婦が連れだって歩くことを「駱駝する」と言ったようだ。 浮世絵で見る江戸カルチャー


ドードーも長崎出島にやって来たか
 
  長崎の出島は、江戸幕府が外国に開いた唯一の窓口であるが、ここにはオランダ船だけでなく唐船(中国)も入港を許されたようだ。どちらの船も外国産の珍しい動物・鳥などを持ち込んできた。それらの動物・鳥は長崎の名主高木家お抱えの絵師が書き写し、幕府に購入するかどうかお伺いをするため江戸に送られた。この時、二部書き写し、一部は高木家に保存された。幕府に送られた原画は残されていないが、高木家に残された控えは残されている。右の本は、その控え画を紹介した本である。

 持ち込んできたオランダ船は、ドードーを発見して本国やヨーロッパに持ち込んだ経験から日本にも売れるだろうと持ち込んだろう、しかし、確かな記録にもドードーの記載はない、想像であるが、高木家の絵師がドードーを見たときガチョウみたいな不細工な鳥は売れないと絵に描くこともなかったのではないか、日本には美しいオウムやインコが好まれた。下部のリスト参考、 江戸の鳥・魚・獣図譜を見る  

『輸入された、身近な鳥 江戸時代描かれた鳥たち』細川博明著 ソフトバンククリエイティブ(株)発売 2012年刊

舶来の鳥

『舶来鳥獣図誌ー唐蘭船持渡鳥獣之図と外国産鳥之図』解説・磯野直秀・内田康夫  八坂書房 1992年刊

『奇観名話』版元・芳野屋十朗兵衛ほか、大阪での出版。
国立国会図書館デジタル化資料 
 


右は九官鳥、左はオウム(鸚鵡)です。『宝暦8年(1758)夏に大阪の道頓堀でインコ4品やキンケイ(金鶏)など、故高槻藩永井直行候の愛禽だった外国産の珍鳥8羽の見世物があり、空前の大当たりとなりました。秋には江戸に廻り、またもや大評判でした。』(第一章 江戸博物誌の歩み」国立国会図書館WEBから)国立国会図書館デジタル化資料 

江戸の博物誌は、形態や生態を幅広く記述することが 特長です。『奇観名話』も一般向けと言われるように、絵だけでなく、飼育法、万葉集や枕草子などの古典からの引用など色々な情報を書いています。

 ●『類違からくん』カンムリバト(冠鳩)・外国産鳥之図より国立国会図書館デジタル化資料

『外国産鳥之図』成立年・作者不明
 巻物に描かれており、何かの図譜を模写したものである。
コピー機の無かった江戸時代には、文字であれ絵であれ模写した。

文字は筆耕(文字の書き写し)と言い、文字の上手な武士(御家人)の内職であった。絵の模写は難しく、豊かな武士階級は狩野家の表絵師や町絵師に依頼した。また豊かな町民階級も町絵師に依頼したのではないかと想像する。

筆者の別ホームページで『江戸時代描かれた鳥・図譜の世界』を御覧ください。

下のイラストは江戸時代の見世物興行の様子。孔雀茶屋の賑わい色々な鳥を見せる。

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  ーモルッカ諸島より日本にやって来た鳥ー

『唐蘭船持渡鳥獣之図
』『鳥之図』に描かれた鳥ーモルッカ諸島より抜粋
 

文化10年 (1813)  大紫音呼 オオハナインコ♀ 蘭船 モルッカ諸島・オーストリア
文化10年 (1813)  惺々音呼 ヒインコ 蘭船 モルッカ諸島
文化10年 (1813)  惺々音呼 ルチガイイショウジョウインコ 唐船 モルッカ諸島
文化12年 (1815)  紅音呼 ルチガイイショウジョウインコ 唐船 モルッカ諸島
文政01年 (1818)  紅音呼 ヤクシャインコ  唐船 モルッカ諸島
文政01年 (1818)  紅音呼 ルチガイイショウジョウインコ 唐船 モルッカ諸島
文政03年 (1820 小型類違紅音呼 アオスジヒインコ 唐船 モルッカ諸島
文政03年 (1820 類違紅音呼 ヤクシャインコ 唐船 モルッカ諸島
文政10年 (1827)  紅音呼 コムラサキインコ 唐船 モルッカ諸島
天保05年 (1834) 類違大鼻青音呼 オオハナインコモドキ 唐船 モルッカ諸島・小スンダ列島
天保08年 (1837)  類違音呼 アオスジヒインコ 唐船 モルッカ諸島
弘化04年 (1847)  小紫音呼 ヤクシャインコ 唐船 モルッカ諸島
『舶来鳥獣図誌ー唐蘭船持渡鳥獣之図と外国産鳥之図ー』磯野直秀・内田康夫著 八坂書房 1992年より


香料を求めモルッカ諸島に到達した大航海時代、ヨーロッパからの航路は、オランダ艦隊がモーリシャス諸島が発見されてから、島で食料となるドードー等・水を積み込み、モルッカ諸島で香料以外にも珍しい鳥類を売るために積み込んだ。唐船が多いのは日本が最大の顧客のためであろうか。


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