マルマラ海の海水が峠を越え、海面より低い淡水湖に乱入して黒海が誕生した
―大洪水の記憶が、後にノアの方舟伝説を生んだ
黒海のイラスト
ー黒海の特徴的な地理ー〉
現在の黒海は、周りをロシア(北)、グルジア(東)、ウクライナ(西)、ブルガリア(西)、トルコ(南)に囲まれた内海である。 広さは約46.1万平方キロメートルで日本の本州ほどである。名前のとおり海面は黒く透明度は低い、明るい青色のエーゲ海から、黒海に入ると不気味なイメージを抱くようである、古代より黒海は不思議な海であった。
 エーゲ海からダータネルス海峡をすぎマルマラ海に入る、次に狭いボスポラス海峡が見える、狭い所で幅は700メートルから4キロメートルである。この海峡に吊り橋が架けられたのは1973年(1074メートルの橋)と1988年(1090メートルの橋)である。イラストではボスポラス海峡をやや強調して広く描いてある。
この二つの狭い海峡が、大洪水の舞台である。科学的立場から伝承の大洪水伝説を解明する近年の研究を紹介する。

1996年12月、ニューヨークタイムズに注目される記事が発表された。
『コロンビア大学の地質学者ウィリアム・ライアンとウォルター・ピットマンの二人の学者が黒海に起きた大洪水を研究していて、この数年には研究論文が発表される』という記事である。1998年に研究論文が発表された。
以下の文章は(「ノアの洪水」ウィリアム・ライアン ウォルター・ピットマン著 集英社刊 2003年)から大洪水の経過を紹介するものである。補強するために他の資料も併せて紹介している。


《黒海の歴史》 淡水湖の湖が大洪水により海とつながり黒海が誕生した。この時の洪水がノアの大洪水伝説となった。

紀元前7600年前頃、
  黒海とマルマラ海を分けていた堰が、海水面の高いエーゲ海の圧力に負けて大崩壊した。大量の海水が、大滝となって低い黒海に降り注いだ。その勢いは時速80キロメートルを越えるものだったらしい、流入した海水は淡水湖であった黒海を現在のような海水湖に替えてしまった。黒海の水面もおよそ55メートルほど急激に上昇した、元は現在の広さより20パーセントほど狭い湖だったらしい。突然の洪水は、水辺に住んでいた先史時代の人類に押し寄せた、人は水に追われ少しでも高いところに逃げた。足の遅い子供や老人・女性は村と共に溺れ死んだ。崩壊が昼間だったのか夜だったのかはわからないが、岡を越える不気味な音は、岡が崩壊する前から人々を不安な心理に落ちいらせていたに違いない。
  エーゲ海から黒海までは約31キロメートルの狭い谷があり、そこを徐々に海水が越えてきたのである、海水が押し寄せる不気味な音はだんだんと近づいてきた。しかし当時の人々には、その音が何なのか分からなかった。

逃げた人々は、今のヨーロッパやイラン・イラクの古代文明発祥地方面に逃げた。ギルガメッシュ神話にも洪水の伝説がある。これらから旧約聖書の「ノアの洪水」伝説に継承されていった。一般的な類推では、ノアの洪水の原因が分からなかったために、神の怒りによる大雨洪水を考えたのではないかと思う。


本当の洪水原因……今から20.000年前、
大規模な氷河の融解が始まった。黒海は氷河から流れくる水により淡水化され、最後には淡水湖なった。そのころ、地中海の海面は今より数百メートルも低かった。黒海(淡水湖)からマルマラ海へ淡水が溢れ流れていたほどである。その証拠は、ボスポラス海峡の10.000年前の沈殿物に黒海から流れ出る淡水の跡が発見された事で証明される。黒海の沿岸から、低くなった海面により露呈した地面を渡り、人類がアフリカから黒海付近まで進出していたらしい。湖の水辺には、狩猟や簡単な農業も始まり定住していたのではないか。氷河時代の終わりと共に氷河から溶け出した淡水は海に流れ出し、徐々に海面を上昇させた

15.000年前、

 氷河は完全に後退した。氷河期の終わりかと思われたが、12.500年から1000年間は氷河期(ヤンガー・ドライアス)が再び地球を支配した。雨が降らなくなり黒海の水面も水の蒸発により低下した。マルマラ湖への流失も止まり、黒海は孤立した淡水湖となった。人も寒さに耐えられず逃げ出した。


7600年前、洪水伝説の誕生

地球に 暖かさが戻ると人々は湖の水辺に戻ってきた。しかし、ついに地中海(エーゲ海)の海面上昇が、黒海につながる渓谷に注ぎ始めた、ナイアガラ瀑布の200倍に当たる海水が勢いよく流れ込んだ。ほぼ一年にわたり、渓谷を轟音と共に海水は黒海を目差した。マルマラ海をいっぱいにすると、ボスポラス海峡の堰を越え、音を立てて注ぎ始めた。一気に湖の水面が上昇して人々の集落を押し流した、流れ込んだ海水は黒海の水面を55メートルほど上昇させた。日本の災害で報道される大規模な鉄砲水を想像すればよい。
  生き残った人々は上記のように周辺各地に逃げ「洪水伝説」を創り語り継いでいった。この時に水没した沿岸の集落を探す試みもあるが、今だに発見されたという確実な報告はない。その後、海底のカメラ探査によると「淡水湖時代の岸辺に人の住んだ形跡が発見された」との報道もある。


上記の説は間違いだという学者もいる
  ウィリアム・ライアンとウォルター・ピットマンの説は間違いである。洪水伝説にはいまだに決着の付かない論争が続いている。
 

 

不思議な黒海の自然《黒海の自然》
 
地中海から流入した海水は塩分濃度が濃く、淡水の黒海に混ざると塩分濃度の少ない海水となった。あとから流入した地中海の海水は底へ溜まり、軽い黒海海水は上になった。水深200メートル下は酸素のない無酸素層になり生物は生存できない。この無酸素層ができたのは海水が流入したボスポラス海峡のみであり、比重の関係で酸素が充分に混ざらないためと言われている。

ボスポラス海峡は、幅700メートルから4キロメートル、水深30メートルから100メートル、長さ31キロメートルと狭い海峡である。

 

宇宙から見た黒海…スペースシャトルから見た写真
英語版のウィキドペア(百科事典)に宇宙から見た黒海と周辺などの写真が見られる。
ボスポラス海峡のイラスト
 
「ノアの洪水」ウィリアム・ライアン ウォルター・ピットマン著 集英社刊 2003年
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