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●教育紙芝居から国策紙芝居へ 紙芝居の歴史は古く、明治8年(1875)に外国人が持ち込んだ「写し絵」がもとになっている。その後「立ち絵」(明治22年頃)を経て昭和5年(1930年)頃、現在、我々が知るようなのような「平絵」と呼ばれる紙芝居になった。街灯紙芝居の代表作『黄金バット』(鈴木一郎作 永松武雄画)が誕生したのである。その人気はすさまじく一日100万人の子供達が見たと言われている。 昭和7年(1932)頃には、保育園や幼稚園で紙芝居が行われた。当時は紙芝居が街灯から流行したため、裕福な子弟が通う幼稚園や保育園教育には向かないと考えられていた、そこに受け入れられたのが、芸術性を盛り込んだ高橋五山の「幼稚園紙芝居」昭和10年(1935)である。第一期刊行10巻が始まった。 昭和16年頃、紙芝居も戦時下では国策紙芝居となり、戦意高揚を目的とした紙芝居が作られた。日本教育紙芝居協会の『日本海大海戦』(1941年)、『神風の飯沼正明』、『愛機南へ飛ぶ』(柳井隆雄、日本教育紙芝居協会、年不明)、『家庭防空陣」(浦田重雄、日本教育紙芝居協会、昭和十六年)、『大空へつづけ』(伊藤正美、東亜国策画劇、昭和19年)などがある。戦後、占領軍により国策紙芝居は募集・焼却された。 国策紙芝居がどの様なものか見るには、動画ユーチュウブなどを検索すると良い、NHKなどのニュースと共に見ることが出来る。 |
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●幼稚園紙芝居「ふしぎの国 アリス物語」について |
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ドードーらしき鳥がいる 9 |
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第一章 第二章 第三章 |
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