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●『名所江戸百景 八景坂鎧懸松』歌川広重 安政5年(1858)大田区立郷土博物館蔵 拡大表示 ●「江戸名勝図絵 八景坂夕景」文久2年 (1862) 2代歌川広重 拡大表示 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
●「義家武者无類(ぶるい)_八幡太郎義家」 絵・月岡芳年 明治19年(1886) 東京国立博物館所蔵 拡大表示 ●「月耕随筆 名古曽関」画・尾形月耕 大英博物館所蔵 勿来の関を越えてゆく義家主従。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
この絵は、「古今著聞集」(13世紀)橘成季による 日本三大説話集の一つを題材にしたらしい。 |
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●義家の勿来の関錦絵 2点 |
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●「勿来の関」月岡芳年 明治の錦絵3枚揃い 国立国会図書館蔵 拡大表示 |
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「勿来の関」について |
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●日本武尊(やまとたける) 東国平定の道すがら、当地の白鳥村に滞在し、後に村民が白鳥明神として白鳥山の山頂に奉祀したことを起源とし、白雉二年(652)の創建とされます。(1185まで白鳥村と呼ばれていたそうです) 永承年間(1046-52)奥州の安倍定任の乱(前九年の役)鎮定のためにこの地を通った源頼義と義家の軍勢は大川(隅田川)を白鳥の渡るのをみてそこが浅瀬であることを知って渡ることができ、白鳥大明神のご加護として鳥越大明神の社号を奉じ、社名も鳥越神社となります。(鳥越神社由緒より) ●「当時は小高い丘であったこの地に朝廷の命にて奥州平定(前九年の役)へ向かう途中、源頼義・義家父子はこの丘で休憩をしていた。その時、川上より流れてきた銀杏の枝を拾い上げ、その枝をこの丘の上に差し立て「朝敵退治のあかつきには枝葉栄ふべし」と都の氏神に祈願し旅立った。奥州平定後この地に戻ってきた時には、丘の上に差した銀杏の枝が大きく繁茂していたので、義家公は御神恩に感謝し、この地に大刀一振りを捧げ八幡宮を歓請したのが、 康平5年(1062)当社の始まり」と伝へられています(銀杏岡八幡社由緒)。東国の神社には義家伝承が数多く伝えられている、後からの伝承と思われる話が多く、義家伝承が多くの民衆に愛されていたか分かる。 ●源義家は納豆を発見した。(納豆伝説) 八幡太郎は、馬糧大豆の中から「納豆菌で発酵した大豆=いわゆる糸引き納豆」を発見し、兵糧に採用したとされる人です。(参照・河出文庫『たべもの戦国史』永山久夫著 河出書房 1996年刊) |
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