嵯峨源氏 源宛みなもと あつるの子、源綱みなもと つなの鬼退治

渡辺綱(953〜1025年)通称は渡辺源次綱ともいう。
  武蔵国の住人で武蔵権介だった嵯峨源氏・源仕の子として武蔵国足立郡箕田郷(現・埼玉県鴻巣市)に生まれる。摂津源氏の源満仲の娘婿である仁明源氏の源敦の養子となり、母方の里である摂津国西成郡渡辺(現大阪府大阪市中央区)に居住し、渡辺綱(わたなべ の つな)と称し、渡辺氏の祖となる。
 摂津源氏の源頼光に仕え、頼光四天王の筆頭として剛勇で知られ、「大江山鬼退治」「一条戻り橋の鬼退治」「羅城門の鬼退治」などで知られる。大江山鬼退治で逃げた鬼が、羅城門に住み着き、退治に向かう渡辺綱が鬼の腕を切り落とす。羅城門ではなく京都堀川に架かる戻り橋(一条戻り橋)の設定の鬼退治もある。また、切り落とされた腕を取り返しに来る話もある。

 源宛みなもと あつる「今昔物語」(巻25・第3話)
源宛は嵯峨源氏の流れで、源仕(みなもとつかさ)の子供である。源融の孫である。武蔵野守として下向して箕田郷(埼玉県鴻巣市付近)を開発し私営田領主となった。今昔物語には二人の合戦する様子が描かれ、一騎打ちの勝負は単なる兵から武士への変化を感じさせる。(参照・『武蔵武士団』関幸彦編 吉川弘文館 2014年)
『大日本史略図絵三十 一条戻橋に渡辺綱夜鬼を斬る』画・安達吟光 1885年 ウォルターズ美術館所蔵
ー渡辺綱の鬼退治ー
  いくつかのバリエーションがあり、上と左の浮世絵は鬼が空中から渡辺綱を捕まえる場面である。綱は源氏伝来の名刀「髭切」で鬼の腕を切り落とす、鬼は腕を残したまま逃げ去る。この場面を羅城門にした話もある。

 
頼光四天王の一人である渡辺綱と一条戻橋や羅生門で戦った故事が、後世の説話集や能、謡曲、歌舞伎などで語り継がれているが、そのため本来は別々の鬼である羅城門の鬼と茨木童子がしばしば同一視されている。茨木童子の銅像

一条戻り橋の鬼退治(茨木童子茨木童子の生まれは摂津国(大坂府茨木市水尾、または兵庫区尼崎市富松と伝わる)、生まれながらに巨体で血を好むなど恐れられ、酒呑童子の仲間に加わったとされる。画は切り落とされた腕を取り返し、逃げ去る鬼。女性の様にも見えるがどうだろうか。(写真はWikipediaウィキペディア) 『新形三十六怪撰 老婆鬼腕を持ち去る図』画・月岡芳年