清和源氏の始祖・源経基は平将門・藤原純友の乱の鎮圧に功績をあげた


 源経基(六孫王経基)(生年不明〜961年頃)  平安時代の皇族・武将、経基流清和源氏の祖である。父は清和天皇の第六功皇子貞純親王、母は右大臣源能有の娘、六孫王(ろくそんおう)と称す。 六孫王神社(京都府京都市南区)は源経基を祭神とする。多田神社、壺井八幡宮と共に源氏三神社と言われる。
 神社は源経基の「八条亭」の跡地に創建される、神社伝承によれば応和三年(963)といわれる。その後、戦乱により社殿を失うが、江戸時代宝永四年(1707)再建される。
「大日本名将鑑 六孫王経基」画・月岡芳年  東京都立図書館所蔵
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  承平 八年 (938)、武蔵野国に武蔵介として赴任する、将門を「謀反あり」と告発するが、将門の反撃に遭い、聞き入れられず拘禁される。実際に将門の反乱が起きると赦され、征東大将軍藤原忠文の副将の一人と任じられるが、すでに反乱は収束していた。また、藤原純友の乱にも参加するが目立った功績はない。武蔵・信濃・筑前・但馬・伊予の国司をつとめ、最後には鎮守府将軍になったと言われる。皇族であったどうかハッキリしない 伝説化された武将である。

詞書(現代語訳)
『貞純(さだすみ)親王の子で清和源氏の始祖。鎮守府将軍に任じられ、六孫王と呼ばれた。平将門、藤原純友の乱鎮圧に功をあげる弓馬の譽れを高めた。天暦九年、石清水八幡宮に収められた兵法の秘書を見て知謀はますます加わり、武名はいちだんと輝いて、ついに源家の棟梁と仰がれる。天徳二年に死去、この図は内裏に現れた怪しい鹿をただ一矢で射止めた所である。』(『月岡芳年の武者絵 大日本名将鑑』歴史魂編集部 株式会社アスキーメディアワークス 株式会社角川グループパブリッシング 2012年)

画中の紅葉は、紅葉伝説の紅葉を表したものである。拡大表示

鬼女紅葉(紅葉伝説)

  信濃戸隠山の鬼女。平維茂に退治されたといわれる。謡曲の「紅葉狩り」では「女に化けた鬼」とされているだけだが『信府統記』(1724)は鬼女の名を「紅葉」と明記している。
  今日流布している伝説は、『北向山霊験記』(1886)という小説をタネ本としている。第六天の魔王の申し子として会津の伴笹丸夫婦の間に生まれた呉葉は,都に上って名を紅葉と変え,美貌と魔王から授かった力を使って源経基に近づく。経基の寵愛を受けるようになった紅葉は奥方を呪詛するが,発覚して戸隠山(長野県)に配流されてしまう。紅葉は超能力を使って,村人の信仰を集めるが、やがて人を襲っては人肉を食らう恐ろしい鬼女となり、天台宗の北向観音の加護を受けた、平維茂に退治されたという伝説である。
 
  戸隠山は「九頭一尾の鬼」(九頭竜権現)を地主神とする開山縁起を伝えており,「酒呑童子」と同様に,中央の支配に抵抗して敗れた鬼の物語がこの地方でも古くから伝承されていたことがうかがえる。<参考文献>『日本伝説大系』7巻,小松和彦『日本妖怪異聞録』(小松和彦)( 出典|朝日日本歴史人物事典(株)朝日新聞出版)

同様の伝説は主に三カ所に伝わる 、戸隠(旧柵村・しがらみむら)鬼無里(長野県)、別所温泉(長野市木島平)に伝わる。


「新形三十六怪撰 平惟茂戸隠山に悪鬼を退治す図」画・月岡芳年 明治23年(1890)
紅葉山伝説に題材をとった浮世絵、このシリーズは、精神を病んだ月岡芳年が復帰し、大蘇芳年たいそ よしとしの号で刊行したシリーズである。明治22年(1889)に開始したが、完成を見ずに亡くなった。



右「芳年武者旡類 相模次郎平将門」 画・月岡芳年 東京国立博物館所蔵
左「新選三十六怪撰ー平惟茂」画・月岡芳年 東京都立図書館所蔵

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