東国武蔵国 武士の日常を描いた『男衾三郎絵詞おぶすまさぶろう』中世の珍しい絵巻
重要文化財 指定名称:紙本著色男衾三郎絵詞 1巻 紙本着色 29.3×1260.9ミリ  鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館所蔵絵の説明(上)、弓の練習をする武士    
男衾三郎絵詞」の伝来
 芸州太守浅野家伝来の絵巻として伝わる。全長2000ミリの巻子本(かんすほん)詞六段・画六段である。元は上下二巻であったと思われるが、下巻は失われている。付属文書が四通収められており、いずれも鑑定書である。その一つに狩野孝信の三男、中橋狩野家(宗家)狩野安信の鑑定書がある。安信は「土佐真筆」としているが、特定の筆者は挙げていない。

  物語の主人公・男衾三郎(おぶすまさぶろう)が誰であるかはハッキリしない、『尊卑分脈』等によっても不詳である。物語の地は兄の吉見二郎が、現在の埼玉郡の中央部、比企郡吉見町であろう。弟の男衾三郎は、大里郡の寄居町にいた武士と思われる。『主人公が関東武士で、しかも、その武士生活の哀歓を叙すこの物語は、おそらく、『男衾三郎物語』の名で鎌倉幕府の武士仲間に愛読されたにちがいない。』(続日本の絵巻・18『男衾三郎絵詞 伊勢新名所絵歌合』小松重美編 中央公論社 1992年刊)


東京国立博物館の解説より(WEB)
『 絵は永仁3年(1295)ころに制作されたと考えられる「伊勢新名所絵歌合」(神宮徴古館蔵、重要文化財)と強い共通性があり、また画風に京都の正統的やまと絵とは異なるものがあること、『吾妻鏡』文治3年(1187)10月13日条などに伊勢の「吉見次郎頼綱(よりつな)」という人物が見え、説話の吉見二郎はこの人物から来ている可能性があるとする説があること、などからこの絵巻は伊勢地方におけるいずれかの貴顕の注文によって描かれたのではないかと想像する見解も出されている。』東京国立博物館ではネットで『男衾三郎絵詞』画像を27点見る事が出来る。

『男衾三郎絵詞』は架空の人物です。(本郷和人) 男衾三郎は鎌倉武士を知る貴重な資料だと本郷和人は言う。現代の我々からは、考えられ無い行動をする。 『男衾三郎絵詞』より 『馬庭(まにわ)の末に生首絶やすな。切り掛けよ。此の門外通らん乞食・修行者めらは(中略)かけた立て駆け立て追物射(おものい)にせよ。』、つまり屋敷の前を歩く人を射殺せと言うのである。その生首を屋敷の庭に晒すのである。我々には理解できない野蛮さであるが、本郷和人氏は、男衾三郎のモデルは畠山重忠であると言う。彼は「鎌倉武士の鏡」と言われた人物です。『この絵詞は、武士の凶暴さを非難するのではなく、むしろ勇猛さを讃えたものなのです。』


 男衾(おぶすま)について(埼玉県寄居町東部)
 埼玉県大里郡寄居町富田に男衾駅の名が残る。村名は式内社と伝える小被(おぶすま)神社が、かつては郡内の惣社であったところからその社号にちなむ。
【角川日本地名大辞典】  旧男衾村。男衾は小被とも書かれ、男衾郡は「日本後紀」の弘仁4年の条に初見。男衾村の那覇、明治22年の村制施行の際に、今市、赤浜、富田、牟礼、西古里、鷹巣の六ヵ村を併せて成立した。本村が和名抄に書かれている男衾郡の郡家郷(郡役所の所在地)だったことに由来するが、実際に郡役所があったかには異説がある。【埼玉県地名辞典 韮塚一三郎 関東図書】
絵の説明(下)、戦いの準備をする武士と従者(郎党)
戦いの場面 騎馬武者の騎射が中心の戦いである。長刀を持った従者は、馬の脚を 狙い払って騎馬武者を落馬させて首を取る

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