ドードーが発見され、絶滅するまでの約100年間、生きているドードーは
日本にやって来たのか?


 モーリシャス諸島でドードーが発見され、オランダ艦隊が母国帰国の際、南洋諸島(モルッカ諸島)の珍しい動植物と一緒に運ばれた。王侯貴族へのお土産として、鮮やかな鸚鵡(オウム)やインコは喜ばれ人気となった。ではドードーはどうであったか。何か不格好な鳥でガチョウや鴨のようであるが、特別に美しい鳥ではない。オランダ艦隊も食料として船に積んだのであり、観賞目的ではない。イギリスでは街灯の見世物として扱われた。

 1602年に設立された東インド会社は、モルッカ諸島の香料をオランダに運ぶ以外に、珍しい動植物を収集してヨーロッパの王侯貴族に売ることも東インド会社の業務のひとつであった。東インド会社は、江戸幕府の長崎出島に寛永18年(1641)から安政6年(1859)の200年間に渡り来港して外国の文化を伝え続けた。日本が鎖国をしたのは、寛永16年(1639)からであるが、貿易の相手はオランダだけでなく、唐(中国明・清)とも貿易をしており、実際の貿易額は唐の方が多かったようである。では実際にどのような鳥・動物がもたらされたのか。豊かな彩色の江戸鳥・魚・獣図譜を見る


  • 『明治前動物渡来年表』磯野直秀氏制作(2007年)慶応大学WEBよりー関連項目を抜粋

    慶長15年(1610)09月09日 安南船が鸚鵡・孔雀・綿鶏各一羽を献上(徳川実記)

    慶長17年(1612)08月28日 蘭人、駿府で家康にサルカ(キュウカンチョウ)と駝鳥(ヒクイドリかダチョウか不明)を献上

    慶長19年(1614)09月01日 家康の外交顧問ヤン・ヨーステンが虎の子2頭と鸚鵡1羽を送る。(通航一覧240)
    寛永08年(1631)02月12日 将軍家光、大僧正天海に孔雀一羽を下賜する。

    寛永10年(1633)09月24日 長崎よりスズメ6羽、インコ3羽、猿1羽を献上する。

    寛永12年(1635)09月25日 東インド総督から風鳥(フウチョウ)2羽ガ献上される。

    寛永16年(1639)05月01日 江戸参府のオランダ館長がかるくん鳥(シチメンチョウ)の雄雌 を献上される。

       同年    09月11日 家光にインコと砂糖鳥(インコの一種)

    寛永18年(1641)12月21日 江戸参府のオランダ館長が金鶏一対、班毛鶏、はるしや鳥3羽、紅白インコ一対、鶴一対、詳細不明
    正保01年(1644)03月16日 江戸城内三の丸で、家光が繁殖に成功した孔雀の雛を見る。

    正保03年(1646)12月01日 江戸参府のオランダ館長が白鸚鵡2羽、ヒクイドリ一対、駱駝2頭を献上する。

    慶安04年(1651)12月28日 江戸参府のオランダ館長が風鳥5羽(フウチョウ 剥製か)、インコ1羽ヲ献上(徳川実記)

    明暦03年(1657)01月15日 江戸参府のオランダ館長が石割鳥(ヒクイドリ)一対(通航一覧272)

    万治01年(1658)01月15日 江戸参府のオランダ館長が「ほうよろすてれいす鳥(ダチョウか不明)」1羽を献上する。

上記の表はドードーが生きて発見(1598年ー慶長三年)、絶滅した1681年(天保元年)に対応した年表で、江戸時代に日本に輸入された鳥を抜粋したものである。徳川将軍三代家光と四代将軍家綱(1651〜1680年)の治世で、家光の武断政治(武力で統治)と言われる政治から、四代将軍家綱の文治政治に転換した時代である。家綱はわずか11才(1651年)で将軍になる、性格は温厚で政治は老中などに任せたため、老中のお伺いに「左様せい」と答えたため、左様将軍と言われたが暗愚ではなかったようである。次の五代将軍綱吉は、自ら儒教を中心とした文治政治を推し進めた。

 世の中が落ち着き徳川家光から徳川家綱になると、江戸参府にやって来るオランダ館長の献上する動物も、綺麗な鳥や珍しい鳥になった。寛文年間(1661〜1672)、長崎出島にもたらされる鳥を長崎出島の町名主・高木家が選び、絵師に描かせて江戸に送り、購入の判断を仰いだ。この絵の控えが高木家に残されており、残念なことに送られた元本はない、その控えが『外国珍奇異鳥図』一巻である。この模本の元本は、『唐蘭船持渡鳥獣之図』彩色 折帖5帖 長崎町年寄高木家 松永安左工門旧蔵(昭和32年慶応大学へ寄贈)慶応義塾図書館所蔵である。
  描かれた時代は、江戸中期から江戸末期(1741ー1854)である。図版は225図で年代がはっきりとしているため、動物渡来年史の貴重な資料である。明治時代に軸装から図譜にまとめた写本である。(参照・『舶来鳥獣図誌ー唐蘭船持渡鳥獣之図ー』磯野直秀・内田康夫著 八坂書房 1992年刊)

 江戸時代中期の図譜は、特長として元本から転写が多いことがあげられる。今と違い簡単に複写できなかった時代、特に文字と違い、絵は木版画に出来ないため、図版は描き写すしかない、図譜を創る大名や旗本は、本職の絵師に頼み忠実に描き写した。幕府『唐蘭船持渡鳥獣之図』も写本と思われる図譜が国立国会図書館にある。『外国珍禽異鳥図』は軸装になっておりWEBで見ることが出来る。国立国会図書館デジタル化資料


写真 鳥
『外国珍禽異鳥図』一巻 国立国会図書館蔵 拡大表示

国立国会図書館の解説によれば、この巻物は幕末・明治の画家田崎早雲(1815〜1898)の筆であるという。鳥類33点、獣類6点からなり、図柄から『唐蘭船持渡鳥獣之図』からの転写ではないかと思われる。筆者の別ホームページで紹介 次のページに八代将軍吉宗の頃、盛んになった図譜制作があります

徳川将軍拝謁に向かう出島のオランダ商務官(館長)
 
2016年3月5日にテレビ放映された「世界不思議発見」(TBSテレビ)でモーリシャス島 のドードーが紹介され、日本にドードーがやって来た証拠として、出島のオランダ商館長日記が紹介されていた。1647年に「ドードーを含む三種類の生物が徳川将軍に献上されたと言う記録がある」との事であるが、上記の『明治前動物渡来年表』磯野直秀氏でも確認されていない。全くの私見であるが、ドードーはガチョウに似ている不格好な鳥であり、珍しい鳥・綺麗な鳥にはあたらない、また、当時の長崎でドードーと名前をつけてはいない。日本人が綺麗な鸚鵡やインコを好むことを知るオランダ人が、わざわざ不格好なドードーを江戸に連れて行くとは信じられない。次のページにも日本の資料があります。



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