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●上記の表はドードーが生きて発見(1598年ー慶長三年)、絶滅した1681年(天保元年)に対応した年表で、江戸時代に日本に輸入された鳥を抜粋したものである。徳川将軍三代家光と四代将軍家綱(1651〜1680年)の治世で、家光の武断政治(武力で統治)と言われる政治から、四代将軍家綱の文治政治に転換した時代である。家綱はわずか11才(1651年)で将軍になる、性格は温厚で政治は老中などに任せたため、老中のお伺いに「左様せい」と答えたため、左様将軍と言われたが暗愚ではなかったようである。次の五代将軍綱吉は、自ら儒教を中心とした文治政治を推し進めた。 |
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『外国珍禽異鳥図』一巻 国立国会図書館蔵 拡大表示 |
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●国立国会図書館の解説によれば、この巻物は幕末・明治の画家田崎早雲(1815〜1898)の筆であるという。鳥類33点、獣類6点からなり、図柄から『唐蘭船持渡鳥獣之図』からの転写ではないかと思われる。筆者の別ホームページで紹介 次のページに八代将軍吉宗の頃、盛んになった図譜制作があります。 |
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徳川将軍拝謁に向かう出島のオランダ商務官(館長) 2016年3月5日にテレビ放映された「世界不思議発見」(TBSテレビ)でモーリシャス島 のドードーが紹介され、日本にドードーがやって来た証拠として、出島のオランダ商館長日記が紹介されていた。1647年に「ドードーを含む三種類の生物が徳川将軍に献上されたと言う記録がある」との事であるが、上記の『明治前動物渡来年表』磯野直秀氏でも確認されていない。全くの私見であるが、ドードーはガチョウに似ている不格好な鳥であり、珍しい鳥・綺麗な鳥にはあたらない、また、当時の長崎でドードーと名前をつけてはいない。日本人が綺麗な鸚鵡やインコを好むことを知るオランダ人が、わざわざ不格好なドードーを江戸に連れて行くとは信じられない。次のページにも日本の資料があります。 |
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