大陸移動によるヒマラヤ山脈の隆起と東南アジア諸島の成立―2

ゴンドワナ大陸
 古生代末期から中生代のはじめにかけて、南半球にあったと考えられているのが「ゴンドワナ大陸」である。北半球には「アンガラ大陸」があり、その間には、テーチス海(ユーラシア大陸とインド大陸の間の海)が広がっていた。下の地図は、4000万年前頃の各大陸の位置である。


ユーラシア大陸とインド大陸の間の海がテチス海である。
モンゴル砂漠もこの中にあり、そのため恐竜化石が発見される。


新生代(6500年から現代まで)
 海洋底の拡大に伴いゴンドワナ大陸は、いくつかの陸魂に分かれ、北上と南下に移動し始めた。 大陸の移動に伴い、北上した陸魂がアンガラ大陸(ユーラシア大陸)にぶつかり、今のインド大陸となった。なお北上続けるインド大陸はヒマラヤ造山運動を起こした。この頃、大陸は高い山もなく平坦な土地が広がっていた、気候も温暖であった。
  南極大陸とオーストラリア大陸は南下した。これらの移動に伴いインド洋は拡大した。この移動により大陸の破砕魂として残ったのがマスカリン諸島(モーリシャス諸島)である、海底火山噴火で出来た島々である。


4〜5000万年前
  インド大陸がユーラシア大陸にぶつかった。この結果、インド大陸がユーラシア大陸の下に潜り込み、地下から花崗岩が上昇し始め造山運動が始まった。ヒマラヤ山脈が隆起し始めたのである。この動きに伴いテチス海が徐々に干しあがり始めた。インド大陸がユーラシア大陸の下に潜り込む速度は年間約数センチほど、これによりヒマラヤ山脈が年間4〜5センチほど隆起したといわれる。これまで大陸はほぼ平坦で温暖な気候であり、気流も緩やかだったらしいが、山の成立で風が起きるようになった。

3000万年前
ヒマラヤの周辺山脈ができはじめる。1500万年前頃には今のヒマラヤ山脈の基本的な形ができあがった。


170万年前
、ヒマラヤの高さは3000メートルほどになったと思われる。気候も変わり始めた。ヒマラヤ周辺の植生は、針葉樹林と広葉樹林、草地の広がる地帯と変化した。

10万年前
4000メートルを越えたところから、山に遮られたために気流の流れが変わり気候が乾燥化に向かった。

地球的規模で動物の移動が始まる
 気候の変化により動物の移動が起きた、500万年前には馬や鹿などの動物がユーラシア大陸からインドに向かって流入し始めた。それまでインド大陸には哺乳動物はいなかったのである。
 
10万年前、上記のように山が高くなるにつれて動物は山を越えられなくなり動物の移動も終わった。しかし、鳥は徐々に適応して山脈を越えた。日本でも江戸時代図譜に描かれている「姉羽鶴(アネハツル)」は、ヒマラヤ山脈のマナスル(8156メートル)を越える映像が、NHKに残されている。
  乾燥化が進むにつれて植生が変化した。それに合わせて動物も南下を始めた。氷河時代の始まりがいつからか諸説があるが、ここでは5〜6万年前としておきたい。次のページに
続く
大陸移動がアニメビデオで見られるサイト 『 Plate Tectonics』(大陸移動)
http://www.ucmp.berkeley.edu/geology/tectonics.html
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