−日本人の英雄伝説の極み、九郎判官義経、英雄は死んで伝承を残すー

「月百姿 五條の月」画・月岡芳年
国立国会図書館所蔵

牛若丸と弁慶の戦い、五条橋の上
 『義経記』によれば弁慶と出会あったのは、清水観音の境内と伝わる。すると橋は五条橋でなく松原橋となる。

尋常小学唱歌(明治44年5月)
 京の五条の橋の上 大のおとこの弁慶は 長い薙刀ふりあげて 牛若めがけて切りかかる 牛若丸は飛び退いて 持った扇を投げつけて 来い来い来いと 欄干の上へあがって手を叩く 前やうしろや右左 ここと思えばまたあちら 燕のような早業に 鬼の弁慶あやまった


熊坂長範とは……伝承の盗賊
  平安時代の伝説上の盗賊である。。室町時代後、
幸若舞『烏帽子折』、謡曲『烏帽子折』『熊坂』などに初めて登場する盗賊である。。牛若丸と共に奥州へ下る金売吉次の荷を狙い、美濃青墓宿(または赤坂宿)で襲ったが、牛若丸に討たれたという。源義経に関わる大盗賊として広く世上に流布し、これにまつわる伝承や遺跡 が数多くある。
熊坂長範を義賊であるという説もある。

   
「一ノ谷合戦」一勇齋国芳
大英博物館所蔵 おそらく揃いの一部

「芳年武者旡類 源牛若丸 熊坂長範」画・月岡芳年 国立国会図書館所蔵

 
歌川国芳と月岡芳年について
 
  国芳はカオスである。大変失礼ながら横尾忠則の師匠であるように感じる。それに対して月岡芳年はグラフックデザインのように洗練されたイメージを抱く、緻密な構成力を持っているように思う。 国芳は創り上げていくうちに、自分でも分からなくなるような感情に動かされるようである。国芳を受け継いだ月岡芳年は最後の浮世絵師にふさわしい完成度を見せている。(私見)


民話・伝承などでは、「遮那の大戒をその門に伝えてよりこのかた」(平家物語七平家山門連署)とあり、源義経伝承では幼名、牛若が鞍馬寺にあずけられた時、遮那王(しゃなおう)(大日如来の化身)で、牛若丸は盧舎那仏と呼ばれたという。

「鞍馬寺の大天狗僧正房と剣術修行をする遮那王」
画・ 月岡芳年 (パブリックドメインWikipedia)


新選東錦絵「源九郎判官義経壇之浦二建礼門院オ赦助ナス図」画・月岡芳年 大判2枚 明治時代 東京国立博物館所蔵

 実際の戦いでは、建礼門院は海に飛び込んだが源氏の兵に助けられた。月岡芳年はその場面をかへ、舟に乗り込んだ義経が、建礼門院を助ける情緒的な場面に仕上げた。

右、「芳年武者旡類 九郎判官源義経 武蔵坊弁慶」画・月岡芳年 東京都立図書館所蔵
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