|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 「東京蒸気車鉄道一覧之図」猛齋(歌川芳虎)版元・沢村屋清吉 明治4年(1871)国立国会図書館デジタル化資料蔵 画中に大森の地名はあるが駅は描かれていない。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() ●『高輪半町朧月景』画・小林清親 明治12年(1879)出版人・福田 熊次郎 24.6×36.2p 江戸東京博物館蔵
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
明治5年(1872)10月14日、日本最初の鉄道は新橋と横浜の間に開通しました、全長29.0キロメートル、一日9往復の運行である。 駅は新橋(現汐留)ー品川ー川崎ー鶴見ー神奈川ー横浜の6駅です。大森駅はありません。その理由を『東京市大森区役所』(昭和14年2月発刊)に見つけました。 『当地の如きは当時猶純然たる農村で、停車場開設の如き殆ど問題に上がらなかったが、当地には測量着手の始めより相当の地位にある傭英国人奇遇し、鉄道従事外人の出入りも頻繁なるのみならず、これらの為今の停車場南寄りの位置に、その休息所を建設して置いた等の関係で、開通以来数年間は鉄道従業員往復乗車降の便宜上臨時該休息所付近に列車を停めつつあったが、明治9年6月12日先づ前記外人休息所を假用して、即ち新井宿に停車場を置かれることになり、之を大森駅と命名し、始めて一般の運輸取り扱いを為すに至った。』(『東京市大森区役所』昭和14年2月刊) 鉄道工事に従事した外国人(イギリス人)は、宿舎を川崎宿の藤屋旅館として、そこから六郷鉄橋工事に向かった。これは藤屋旅館の子孫方が語られている。来日したイギリス人は以下のとおりです。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
ーお雇い外国人ー 『鉄道史』川上幸義著 鉄道省 1921年刊
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() (写真の「絵はがき」は大森駅開業記念に配布されたものらしいー大田区所蔵 ) ![]()
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
トップ目次に戻る |