ー小川泰堂の著した『日蓮大士真実伝』は幕末維新期の祖師伝記として有名ー
 


『日蓮大士真実伝』の初版は5冊の和本で出版された。
  このシリーズは絵入りの通俗的日蓮伝記本として日蓮宗普及に力があったと言いわれている。慶応3年(1867)に出版されてから大正・昭和と幾たびも版を重ね、絵入り祖師伝記として有名です。この本は、国会図書館デジタル資料に収蔵されています。

  小川泰堂は文化11年(1814)3月21日に相模国藤沢に医師の子として生まれ、天保7年(1836)に江戸下町で開業した。よく知られた話では「天保9年(1838)に浅草蔵前の古本屋で日蓮遺文を目にして、一読で感銘して日蓮信奉者となり、以後、日蓮遺文の校注を行い研究者として知られています。慶応元年(1865)に『高祖遺文録』(30巻)を完成して明治9年(1876)に上梓しています。同書は明治期の日蓮研究の底本となり田中智学(国柱会)や高山樗牛に影響を与えたと言われている。小川泰堂は近世になって信仰されるようになった祖師像の霊験を、地域を調べ伝承なども書き加えている事が新しく、幕末・維新期の祖師伝記がよく分かります。(参照・『江戸の法華信仰』望月真澄著 国書刊行会 平成27年刊)

2008年12月25日、小川泰堂顕彰墓域完成。小川泰堂の末裔の方より、管理している小川泰堂居士の書物・遺稿などの資料を池上本門寺に委託したいとの申し出があり、池上本門寺霊宝殿に遺品全てが献納されることになりました。これに対し池上本門寺より日蓮宗への功績を讃えるため、墓所を本門寺大堂脇にお迎えしたいと提案いたしました。末裔の方も提案を受け入れ、藤沢市の文化財指定を受けていた墓地を本門寺に移転いたしました。(日蓮宗新聞 2009年2月1日号)

この本は、小川泰堂が日蓮聖人の霊跡の地を探訪し、寺院の縁起や霊跡の伝承をつづり宗門弘通のありさまを提示した。本書は霊跡伝承めぐりのガイドブックとしての性格をもっている。
(参照・『日蓮宗事典』)また、挿絵では堀之内妙法堂、谷中瑞輪寺、牛込幸国寺の三カ所の祖師霊場が紹介されています。


 
鎌倉に黄色の蝶が舞う
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鎌倉の空に彗星現る 拡大表示 朝日に題目を唱える 拡大表示
説法弘通 拡大表示 滝口法難 拡大表示 佐渡海上の波の題目 拡大表示

『日蓮大士真実伝』小川泰堂編 中村淺吉出版 明治29年(1896)10月 絵師不明 五巻揃い 絵は口絵を入れて100点近くあり絵伝記と言ってよい、中から代表的な法難を紹介する。国立国会図書館デジタルコレクション蔵
 

「日蓮の御遺言」は、枕元に集まった弟子達に後を託し、特に日像上人に「帝都引通」(京都での布教)を命ずる場面である。


江戸時代、歌川国芳の高祖御一代略図
祖師日蓮の御入滅 拡大表示 日蓮の御遺言 拡大表示

挿絵の補足説明……
 「黄色い蝶」の群舞は「蝶雨」とも言われ、地震などの天変異変の予兆であると思われていた。 「吾妻鏡」によれば文治2年(1186)、建保元年(1213)、宝治元年(1247)、宝治2年(1248)など5回記録されている。いずれも不吉な前兆で人々は恐れおののいたという。古来より蝶は死者の霊と思われていたからである。

南山大学教授の阿江茂氏によれば
 『この「黄蝶群飛」は必ずしも蝶をさすとは限らないとしながらも、鎌倉幕府が開かれて多数の軍馬を養うために牧場が開発され、そこ増えた豆科植物に、モンキチョウかキチョウが大発生したのではないか』と述べられている。(『蝶の民俗学』今井 彰著 築地書館 1978年)

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