ー源義家は理想の武将である、兵の鑑として伝承されたー


平安末期
の東国は、桓武平氏 高望王系の武家平氏(軍事貴族)である
 
  国香系多気大掾氏が常陸の国に、良文系の平氏が下総・上総の国に、武蔵野国には良茂系の平氏・武蔵七党・や板東八平氏がおり、相模国には国香系の平氏が支配していた。東国全体は平氏の地盤であったと言って良い、これらの地盤に源氏が食い込んだのは、河内源氏の祖「源頼信」の活躍があったからである、頼信は平氏の直方に「頼義を婿と」の話を受け、誕生したのが源義家である。彼が鎌倉の平家地盤を引き継いだ。


源義家(みなもとよしいえ)
    長歴3年(1039)〜嘉承元年(1106)、伊予守源頼義の長男であり、通称は八幡太郎義家、又は八幡太郎と言われた。彼は文武両道に優れた武将として伝わる。下は12世紀頃歌われた今様(いまよう)である。

『鷲のすむみやまには、なべての鳥はすむものか、おなじき源氏と申せども、八幡太郎はおそろしや』(『梁塵秘抄』) 拡大表示

 歴史的には、政治も摂関政治から院政時代に移り変わるなど変化した。武士も単なる家来から独立した新興勢力になるなど貴族の荘園制を奪う存在になった。力を持ち始めた頃であり、義家はその新興勢力のシンボルになったのである。
 
  白河天皇の警護を務める。「前9年の役」(1051〜1062)で先勝した河内源氏が武門の中でも最高の格式を持つ家と言われるようになった。源頼朝は孫であり足利尊氏の祖先にあたることから親しまれ、数々の逸話・伝承が生まれる。

「後3年の役」(1083〜1088
)で朝廷から私戦と見られ恩賞はなかった。義家は自分の所領を共に戦った部下に分け与えた。その温情に感激した東国の武士との繋がりが強くなった。(参照・人物叢書『源義家』安田元久著 日本歴史学会編集 吉川弘文館 平成元年刊)

義家の曽孫にあたる源頼朝は、武士を集めるため武士の鑑である頼義・義家のイメージを巧みに政治利用した。
 八幡太郎義家の伝承が始まったのは「前九年の役」「後三年の役」以後のことである。その以前には資料も少なく伝承もなかった。伝承は平安末期から鎌倉時代に創られた。常陸の国にも47を越える伝承がある。

武士の頭領・源氏の嫡流である という伝承を創り、武士に土地私有を安堵して「一所懸命」と言う言葉に表されるように、鎌倉幕府への忠誠を誓わせたのは源頼朝である。次の室町幕府も、戦国時代を統一した徳川幕府さえ源氏の流れを主張した。「武士道」という規範にも利用され、明治政府になり武士は軍人に置き換えられたが、義家のイメージは明治・大正時代を流れ続き、軍人の誤った観念から命を軽視、国体護持などが昭和の敗戦(第二次世界大戦)を招いた。(参照・『源義家 天下第一の武勇の士』野口実著 山川出版社 2012年刊)

 
 奥州に向かう際、散りゆく山桜を見て……
「吹く風を 名古その関と思へども 道もせに散る山桜かな」(千載集103)を詠んだ場面である。

徳川家康の新田系松平姓も疑わしい事が定説のようである。徳川家の系図


「日本花図絵」画・尾形月耕 大英博物館所蔵 
題材は同じ山桜 拡大表示
 
「教導立志基 七 源義家」絵・小林清親 明治19年 (1886)東京都立図書館蔵 拡大表示

「大日本名将鑑 八幡太郎」絵・月岡芳年 明治9年から15年にかけて創られた。東京都立図書館蔵 拡大表示 

 
徳川時代の義家像
 
  浮世絵の源義家は徳川家の祖先であると言うことから愛され、「愛される武将」、年少の頃から「力ある武士」、武力だけでなく「智力もある武士」を表す。上2枚は幕末から明治にかけて活躍した最後の浮世絵師「月岡芳年」の浮世絵。左は「光線画」と呼ばれ、光と影で風景を描いた小林清親(こばやしきよちか)の源義家である。いずれも伝承の源義家を見事に描いている。

大田区の源義家伝承と両国・鳥越神社の伝承
 現在のJR大森山王口にあった八景坂の茶屋にある、一本松は「源義家が鎧を掛けた松」として歌川広重が「名所江戸百景」のひとつとして描いている。

  奥州討伐に向かう義家は、茶屋前の道(鎌倉下ノ道)筋にある『鳥越神社』(両国蔵前)にも伝説を残している。その伝承とは『奥州鎮定(前九年の役)のためこの地を通った源頼義・義家父子は、名も知らぬ鳥が越えるのを見て浅瀬を知り大川(隅田川)を渡ったということから「鳥越大明神」と名付けた。以後、神社名には鳥越の名を用いるようになり、この辺りは鳥越の里と呼ばれるようになった。』と伝へられています。

  また株の取引場がある兜町は、義家が兜を掛けた岩があったことから名付けられたといわれています。奥州道にも多くの伝承がある。

小林清親の左の浮世絵(左)は、「先方の原っぱに鳥が降りないのは、そこに軍兵が隠れているからだ」と洞察したと言われる絵です。(伝承「奥州後三年記」東京国立博物館蔵)
 

稗史とは何かー
 
  国家によって編纂された歴史を正史という、民間で書かれた歴史や伝承を基に書かれた 歴史を「稗史」(はいし) という。
フィクションに富む稗史の 登場人物たちは、戦前までは読本や歌舞伎などで英雄として活躍しました。浮世絵では、江戸期頃から人気を博した歴史上の英雄を描く武者絵がよく知られて います。月岡芳年の「大日本名将鑑」は51枚のシリーズであり、明治10年(1877)〜明治20年(1887)にかけて制作された。


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