ー源頼朝は、石清水八幡社を勧請した鶴岡八幡宮で放生会を行うー

この浮世絵は、幕末文久3年5月に板行された『御上洛東街道シリーズ』の一枚
江ノ島由比ヶ浜の放生会風景を描いたものである。


『 家茂と思われる人物が由比ヶ浜の鳥居の下に座って、大空に舞い上がる鶴の一群を観賞している様子が描かれている。これは源頼朝によって執り行われた、鶴岡八幡宮の放生会になぞらえているのである。言い伝えによれば、頼朝はこの放生会で千羽の鶴をはなったといわれる。』(『東海道中を描く錦絵の新展開ー「御上洛東街道」を中心にー』山本 野理子論文から)

この御上洛東街道シリーズは、幕末文久3年(1863)の徳川将軍家茂の御上洛に合わせて発売された錦絵シリーズである。将軍上洛の報道性と東海道五十三次の人気シリーズ(話題性)を当て込んで出された。歌川派絵師16名が分担して162
枚の浮世絵を制作した。徳川将軍を描くことは禁止されていたので、源頼朝に仮託して描かれた。画中に頼朝の家紋「篠竜胆」が画かれていると、江戸庶民は頼朝=徳川将軍と理解したという。人気を得るためか初期の五十三次にはない場面が多い、勿論、江ノ島には立ち寄っていない。この由比ヶ浜を含めて江ノ島の風景は4点ある(下記)。

 江ノ島は、源頼朝が武家政権の祖であり、河内源氏の主流であることから徳川家は特別な配慮を示した。江戸庶民にとって頼朝は親しみのある伝説の武将であった。

将軍家茂の上洛・御上洛東海道について 絵師目次

ー放生会の浮世絵ー


「東海道五十三對 見附」一勇齋国芳 大英博物館所蔵 拡大表示

「大日本名将鑑」月岡芳年 
ボストン美術館所蔵 
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放生会の浮世絵は、一勇齋国芳(歌川国芳)と弟子の月岡芳年が描いている。構成的には、月岡芳年の方が優れているように思える。



25番 二代広重


26番 二代広重・二代国貞


28番 二代国貞

28番は、二代広重と二代国貞の競作である。風景を広重が描き、海中を泳ぐ海女を国貞が描いている。国立国会図書館所蔵

おそらく上の月岡芳年の由比ガ浜は、歌川国芳の浮世絵を参考にしたと思われる。日傘を差し掛けられているのが頼朝である。右側にある鳥居は鶴岡八幡宮のものであると思われる。海岸の波打ち際には、放生会で鶴を放すため、鶴を捕獲した捕獲人が控える。
『源頼朝の放生会』画・一勇齋国芳(歌川国芳) 三枚揃い 天保13年(1842)から天保14年(1843) 版元・佐野一 ボストン美術館所蔵 拡大表示  

ボストン美術館
  大英博物館


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