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ー北倉庄一氏の考える「下の道」とはー
鎌倉から平間街道までを辿る。

下ノ道は八幡宮を起点として右側(東)へ向かう「金沢道」である。金沢道は六浦から塩を運んだ道でもある。朝比奈切通の旧道を越えて上行寺の脇を通り、金沢八景駅に向かう。上行寺は建長6年(1254)日蓮上人が房州から鎌倉入りしたときに一泊した寺である。進むと国道16号線に出る。左に進む。京浜急行・金沢文庫駅から能見堂跡ー能見台北公園の中を抜け氷取沢高校の東側を歩くー妙蓮寺ー雑色(鎌倉時代の下級武士)ー関の下の交差点、ここは江戸時代に制定された鎌倉街道である。

交差点を越え旧道を行く、上大岡駅に出るー横浜国大附属中学ー蒔田ー「北向き地蔵」を見て進むとやがて東海道の旧道を越え、保土ケ谷駅に向かう、保土ヶ谷駅の手前を左折すると古町街道と言われた古道になる。進むと遍照寺に出る、この寺には江戸三代狂歌師・朱楽管江の建てた百万遍供養塔がある。大蓮寺ー神明社ー帷子川かたびらかわー天王町駅(相模鉄道)ー三沢公園ー岸根公園−六角橋ー綱島街道を越えて菊名神社ー綱島駅ー飯田家の門ー金蔵寺ー駒ヶ橋ー井田山ー蟹ヶ谷ー大戸神社ー南部線の中原駅ー小杉御殿町、等々力緑地あたりは、小高駅があり多摩川の渡し場ではないかと言う説もある。小高駅は現在の末長であろう。小杉御殿跡ー「丸子の渡し」で多摩川を渡り沼部駅へ出る、ここから平間街道である。(高倉庄一氏は多摩川を「丸子渡し」で渡る説であるが、私は「平間の渡し」で渡った説である)

鎌倉からの「下ノ道」と「中ノ道」は保土ケ谷辺りで一緒になり多摩川の手前で分かれたと言う説、保土ケ谷辺りでも違う道であったという説など意見が分かれる。それも保土ケ谷辺りが開発され古道がなくなったからである。そのため保土ケ谷市では古道の調査は出来ず、鎌倉街道に対する見解は出さないようだ。

北倉庄一氏は鬼籍に入られたがホームページは受け継がれている。私も北倉氏に教示を受けた一人であり、ホームページの復活を喜んでいる。上記に簡単に紹介したが、ホームページにあるPDFファイルは数百ページある詳細なものである。
 

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「東海道五十三次 保土ケ谷・新町橋」絵・歌川広重 保永堂 国立国会図書館デジタルコレクション蔵 

「新町橋」とは帷子川かたびらかわに架かる「帷子橋」であろう。右奥は権太坂に至る道である。江戸時代の東海道も鎌倉街道を利用していた。

 
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