江戸時代、清元奏者は歌舞伎役者の正月挨拶に浮世絵を持参した

 タイトル不明・歌舞伎清元節の新年挨拶か、三枚揃い
画・豊原国周 明治9年 板元・莚木林之助 彫り師・弥太、画工・荒川八十八、價(値)6銭)(当時、かけそばが一銭である) 「馬込と大田区の歴史を保存する会」所蔵
 
一種の引き札(広告)であろうか。おそらく新年の挨拶に、お得意様や歌舞伎役者、芝居小屋座元などに配った手土産(みやげ)であろう。背景には清元の家元の挨拶文であろう。左の浮世絵が、一番値が高く凝っているようである。右の写真で分かるように襟元に「空押し」が見られる。部分拡大表示

清元の解説……
  清元節(通常、単に清元と呼ばれます)とは、江戸時代後期(文化11年・1814年)に生まれた三味線の伴奏による豊後節系浄瑠璃の一つで、浄瑠璃の諸流派の中では最も新しいものです。
  創始者は清元延寿太夫(初世、1777〜1825)で、初代富本斎宮太夫の門弟になり、二世富本斎宮太夫を襲名しました。その後、富本節から独立して、文化9年9月中村座にて豊後路清海太夫の名で、再春菘種蒔(またくるはるすずなのたねまき)に出演しております。
その後、文化11年11月、市村座公演より清元延寿太夫を名乗り清元節を興しました。清元は、主に歌舞伎の伴奏音楽として発展してきましたが、歌舞伎を離れた、純粋な観賞用音楽としての作品群もあります。