歌舞伎18番「暫(しばらく)」で現代に生きる 鎌倉権五郎景正

鎌倉権五郎景政(1067〜1141)
平安末期の武士で、源義家の「後三年の役」に参陣、目を矢で射貫かれながら戦った挿話で知られる。後ろにいるのが源義家である。その後、朝廷の命により横山党を成敗(1113年)する、永久五年(1117)に高座の私領を開発し伊勢神宮に寄進する、下司となり大庭御厨を管理する。 この子孫が桃生郡深谷の小野城を本拠とした長江氏である。長江太郎義景は源頼朝の挙兵に参加した源氏累代の家人である。奥州合戦の論功行賞により、奥州桃生郡南方の深谷保を賜った。

「源義家と鎌田権五郎景政」画・一寿齋芳員 名主印・村田平右衛門・衣笠房太郎 引化4年から嘉永5年 「馬込と大田区の歴史を保存する会」所蔵 拡大表示


歌舞伎十八番「暫」(原題『参会名護屋』元禄十年 初世市川団十郎)


登場人物には、清原武衡・加茂(源)義綱・鎌倉権五郎である、鎌倉鶴岡八幡宮で、大福帳の奉納に来ていた清原武衡が反抗する義綱の首を刎ねようとすると「暫く」と声がかかる、権五郎の登場する。有名な荒事の場面である。
「悪七兵衛景清・ 三保谷四郎国俊」画・月岡芳年 東京都立図書館所蔵 (写真)