月岡芳年の描く『日蓮上人石和河にて鵜飼の迷魂を済度したまふ図』

『日蓮上人石和河にて鵜飼の迷魂を済度したまふ図』 絵・月岡芳年 出版者・秋山武右衛門 明治18年(1885)制作 国立国会図書館デジタル化資料


伝承によれば、『日蓮上人が弟子の日朗と日向を伴って笛吹川(昔の名、石和川)に行くと、鵜飼いの亡霊に出会った、成仏できずに日蓮に助けを求めた。日蓮上人は三日三晩に渡り、法華経の経文を石に書き川に沈めた。この川施餓鬼により鵜飼いは成仏できた』と言う、この話は歌舞伎、浄瑠璃(『鵜飼』)、能など浮世絵になり江戸庶民に人気があったという。そのため石和の「鵜飼山 遠妙寺」(甲斐39番霊場)は江戸への出開帳が多かったという。

月岡芳年は、この話を見事な浮世絵にしている。画面全体に静謐な雰囲気が漂い、見事な構成である。また、月岡芳年の師匠である歌川国芳の『高祖御一代略図』に「甲斐国石和川鵜飼亡霊化」として浮世絵になっている。浮世絵に押されている水野年方の印章は、月岡芳年の門下であり実質的に芳年一派を継いだ水野年方のものである。彼のコレクションは国立国会図書館デジタル化資料に納められている。

能「鵜飼」(うかい)
『これは能の演目の一つ。五番目物、鬼物、太鼓物に分類される。禁漁の罪を犯したために殺された漁師の悲劇と、その鵜飼の業の見事さ、そして「法華経」による救済を描く。(中略)ワキの僧については、出身が「安房国清澄」であること、そして向かう先が日蓮宗の本山・身延山久遠寺のある甲斐国であることなどから、日蓮をモデルにしていると考えられる[2]。にもかかわらず日蓮の名が作中に出ないのは、「高僧の功力よりは広く仏教の功徳を説かうとした為」ではないかとも、あるいは作者の創作部分が大きかったため日蓮の名を出すのを憚ったとも、逆に当時周知の話だったためあえて名を出す必要がなかったためとも考えられる。』(Wikipediaウィキペディアの解説)

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