『東京都の近世社寺建設ー近世社寺建築緊急調査報告書』 
平成1年3月31日
2011.07.05


『東京都の近世社寺建築 近世社寺建築緊急調査報告書』
                 東京都教育庁社会教育部文化課
 
  この緊急調査は、昭和61・62年度に行われた調査の報告書である。調査対象は江戸近郊(東京都23区)と都下の多摩地区である。

  江戸時代に造営された社寺は、度重なる大火と地震などにより多くが失われた。また、明治・大正時代に入っても関東大震災、第二次世界大戦戦火により失われている。しかし、江戸近郊や多摩地区には、江戸時代に造られた社寺の影響を受け継ぎ、当時の雰囲気を色濃く残している社寺がある。調査では、都心で失われた江戸末期の社寺建設がいくつ残存しているか、2回に分けて調査を行い、2次調査で得られた写真等資料を纏めた報告書である。


報告書の内容 
 
 東京都の近世社寺建設の概要、神社建築の組み物・妻飾・繋虹梁・縁と支持形式・軒・木鼻などの特徴、寺院の仏堂・七間堂・五間堂・三間裳階付堂、宗教による特徴、細部の特徴、細部の写真などが掲載されている。特に写真は、近世社寺建設の特徴を知るために有用である。

大田区では、一次調査対象として以下の候補が挙がっていた。(一次調査・昭和61年)
 安養寺(本堂)、長遠寺(本堂)、本成院(本堂・庫裏・書院・山門・観音堂)、照栄院(柤林頭寮・妙見堂)、本門寺(宝塔・経堂・総門)、理境院(本堂)、中道院(庫裏)、万福寺(本堂・山門)、六郷神社(本堂)、妙雲寺(本堂・山門)。 東京都全体では、調査対象の社寺は235社にあがった。
 
二次調査は、昭和61年7月、昭和62年3・7・11月に実施された。すでに国宝・重要文化財に指定されている社寺は除外された。二次調査は現地調査で、配置・平面図の作成、写真撮影等、建築の諸調査を行った。対象寺社は196社である。
  この内、大田区で調査されたのは、本門寺の総門、宝塔、経蔵(経堂)、御嶽神社(社殿)の四つである。自生院内の牛頭天王堂は大田区の文化財であるためか除外されている。
 近世社寺建設では、彫刻による装飾化がひとつの特徴とされる、大田区でもその例は御嶽神社牛頭天王堂などに見られる。それ以外に村の寺・神社に寄進者の願いを込めて、装飾に力を入れた例が散見される。東京都の調査では記載がないこれらの寺社は、民衆の神仏への深い祈りから造られたものであると考える。

ひとつの例として、大森山王の日枝神社は、第二次世界大戦により前社殿が焼失したため、戦後の昭和28年(1953)に再建された。しかし不思議なことに全体の造りは江戸末期の神社の特徴を示している、社務所に訪ねると、驚くことに前社殿を忠実に再建しようとしたと言う、籠彫、手挟(てばさみ)など堂宮彫刻も堂宮彫刻師の手になるようだ。戦後にこれらの彫刻を造ることは金銭的にも大変であり、木材ひとつとっても集めることは大変であったろうと推察する。その経緯に再建した氏子一同の切なる願いがあったと考える。

池上本門寺の「妙見堂」は、寄進者の身分(紀州徳川頼宣夫人・瑤林院)から幕府普請(作事)と同等であろうが、此処にも豊かな装飾された彫刻が見られる、北極星を信じる北斗信仰の社である、神亀が向拝柱から登る姿を彫刻としている。木鼻などの籠彫も精緻で全体に装飾統一のとれた御堂である。妙見堂近くの堤方神社は、妙見堂ほどの華麗な装飾性はないが、龍の彫刻が向拝柱に巻き付く姿はすばらしい。
 
  以上のように大田区では近世社寺建設に該当する社寺は多くはないが、牛頭天王堂に見るように、民衆の信仰した神社に見るべきものがあるように感じられる。

  (参照・『東京都の近世社寺建築 近世社寺建築緊急調査報告書』東京都教育庁社会教育部文化課)

 
妙見堂向拝柱の木鼻(右)と向拝水引虹梁の妻飾(つまかざり)、見事な駕籠彫り(かごぼり・立体的な彫刻)である。
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