歌川国貞門下生貞秀は、玉蘭齋貞秀で「御上洛東海道」制作に参加


歌川貞秀は、文化4年から明治12年(1807年から1879年)国貞門下でも才能があり、横浜絵の第一人者と言われる。慶応三年のパリ博には浮世絵師の総代となっており、人気のあった浮世絵師である。横浜絵と共に俯瞰した精密な風景画や合戦の絵巻を得意とした。幕末の頃には北海道から九州まで歩いて、「奥州一覧之図」、「肥前長崎丸山廓中の風景」、各種の詳細な鳥瞰一覧図、名所図を刊行するなど行動的な浮世絵師であった。
 多才であった貞秀は「横浜開港見聞誌」(上・注・下の三冊)を文久二年(1862)より慶応元年(1865)かけて出版した。いまで言う案内誌でベストセラーになった。私生活は謎に満ち、よく知られていない。明治11年(1878)頃に没したと言われる。
2014.03.18.更新



18.東海道之内
生麦 生麦 文久三年五月 鍵屋庄兵衛
31.東海道名所之内ふぢさは遊行寺 遊行寺 文久三年五月 山本久兵衛(ボストン美術館蔵)
66.東海道名所之内宇津谷 宇津の谷峠 文久三年五月 山本久兵衛
134.東海道名所之内山崎 山崎 文久三年五月 丸屋甚八

以上4点は、タイトル『東海道中を描く錦絵の新展開ー「御上洛東海道」を中心にー』文学研究科博士過程後期課程 山本 野理子氏の論文中のリストによる。この中で国立国会図書館デジタル化資料で収蔵されている浮世絵点(赤字)を紹介する。拡大表示は題名をクリック。1点(緑字)は大正7年の豪華本『大名道中』東光園刊から撮影転載。(『馬込と大田区の歴史を保存する会』所蔵)


   18.生麦 31.遊行寺 66.宇津の谷峠
   
134.山崎
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