高橋松亭(弘明)の生涯と描かれた大田区の風景
2011.04.22 更新


高橋松亭の本名は松本勝太郎、明治4年(1871)1月2日 浅草向柳原町(現・台東区浅草橋2〜5丁目)の生まれである。
 高橋松亭は大正10年(1921)に弘明と改号した。また、昭和6年(1931)に当時の東京府下矢口町字小林326番地(現・東矢口3-31番)に転居した。大田区の風景は下町育ちの高橋松亭(弘明)にとって緑多い東京郊外、武蔵野の雰囲気を思わせたのかも知れない。

 関東大地震後は新作版画に精力的に制作する。徐々に明るい軽やかな色調になっていった。高橋松亭(弘明)は昭和17年(1942)まで大田区矢口に在住、その後、東京府下荏原区神明町(現・品川区戸越あたり)に転居した。同地で昭和20年(1945)2月11日逝去、享年76才であった。墓は「寿松院」にある。(台東区鳥越2-13)

新作版画の登場
 渡邊庄三郎が独立(明治39年)して尚美堂を開店(明治42年)、すぐに新しい版画を目指して高橋松亭に絵を依頼した。これが記念すべき『墨田堤の夜』である。渡邊庄三郎の考えたのは、日本画特有の墨の掠れや滲みを版画で表現しようとしたことである。彼はこれを「新作版画」と命名して、肉筆浮世絵の質感を出そうと考えた。
また、題材にもこだわり、江戸時代の情緒が残る風景を描かせた。これは、新作版画を外国にも売ろうと考えた商業的意図からである。


新版画の登場
 新作版画の持つ肉筆浮世絵的表現から脱却して、より自由な制作方法を求めたのが「新版画」である。この制作には我々の良く知る伊藤深水、川瀬巴水、名取春仙、山村耕花、笠松紫浪、吉田博などが参加した。


市の倉

高橋松亭(弘明)の「新作版画」、大田区に限る。
「玉川の納涼」内かわの雪」「千束の池」「矢口」「馬込の朝霧」「市の倉弘明画房」市の倉雨中 「塚越明神」「玉川」玉川の秋月「池上夜の雪」池上の夜雪。以上、9点。
高橋松亭(弘明)の「新版画」、大田区に限る。
「都南八景之内」池上市の倉、 矢口之渡し、 馬込  羽根田の4点。
「雪月花」森ケ崎根方徳持の3点。
以上の17点が高橋松亭(弘明)が描いた大田区の風景である。
資料、特別展「高橋松亭(弘明)版画の世界」図録制作・発行 大田区郷土博物館 平成17年(2005)10月23日、博物館ノート NO 122.123号

高橋松亭画集

詳細
市の倉弘明画房
  馬込 塚越の神社
塚越明神
「都南八景之内」馬込
馬込村のことについて

玉川の納涼

内かわの雪

馬込の朝霧

千束の池
 
矢口

玉川 玉川の秋月

池上夜の雪

「都南八景之内」池上
 
 
「都南八景之内」 市の倉
 
「都南八景之内」矢口之渡し

「都南八景之内」羽根田

「雪月花」森ケ崎

徳持

根方の桜
 
 
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