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●馬篭貝塚の範囲 江見水蔭から始まった馬篭貝塚発掘は、昭和10年(1935)に考古学者の発掘・研究が行われた、初期の馬篭貝塚は範囲を広げ、環七の新馬込橋から新幹線までの内側として、夫婦坂バス通りを底辺とする中馬込1〜3丁目、上池台5丁目の三角形である。 新馬込橋から見た風景は、川瀬巴水の名作「馬込の月」を生んだ。そこには昭和初期の長閑な田園風景が広がり、縄文人が採取した豊かな海の幸の跡(貝塚)を埋めた緩やかな台地が見られる。昭和30年頃まで畑が広がっていた。その後、急速に宅地化が進んで。今では畑すら殆ど見ることは出来ない住宅地となった。 ●目黒道 馬籠貝塚付近地図 |
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