ー江戸時代の測量がどのようなものであったか、晩年の葛飾北斎が描く測量風景ー
「地方測量之図」絵・卍老人89才(葛飾北斎)嘉永元年(1848)東京国立博物館蔵


北斎は嘉永2年(1849)に死亡しており、この絵は最晩年の作品です。応需と描かれており、版元より依頼された仕事である。内容は測量免許を取ったお祝いに配る記念錦絵のようである。
 画中には「地方測量之図 地方測量術免許 長谷川善衛門弘門人 越前福井藩 大橋文五右衛門敏之・肥前大村藩 森荘助英明・同 川原順左衛門忠正」とあり、陸奥盛岡藩の測量風景かも知れない。大田区の六郷用水も検地とはやり方は違うが、用水を流すために微少な高低を計り、用水路を決める測量も同じような風景であったと考える。

 17世紀の間に、幕府は数回にわたって国絵図の作製を全国の大名に命じている(国絵図とは国単位で描かれた地図のこと)。そのために、測量術に対する需要が増え、清水のような測量家がその技術を全国に普及させる契機を得ている。
本書に述べられている清水流の測量術は、現在、平板測量といわれている技術を中心に据えている。水平に置いた板の上に紙を置き、そこに直接、地形の縮図を写し取る技法である。日本人はこの技法をオランダ人から学んだと考えられている。(参照・国立国会図書館WEB「江戸の数学」より)

江戸の和算術や測量術について、国立国会図書館デジタルに詳細ページがあるので紹介する。江戸の数学、 実学・測量関係では測量本の紹介もある
。2015.03.23



北斎の絵に見る基本的な測量方法
 
「間縄(けんなわ)」又は水縄、「間竿(けんざお)」は距離を測る道具である。間縄は長さ60間(約109メートル)で一間ごとに印が付いている。また短い小縄(20間)もある。距離の計り方は『また一間ごとに印を付して用いることあれども縄は露に濡れ、あるいは日に乾くにしたがい、そのたび事に伸縮するものなれば間数もまた差うことあり。故に、杭を打ち手水縄を張り、間竿を以て間数を量るべし』(『近世絵図と測量術』川原博忠著 古今書院 1992年刊)、木杭を打った後の作業を北斎は見事に描いている。


『秘伝地域図法大全書 第三冊』細井広沢著 詳細不明 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

 
  著者の細井広沢は町見術(測量術)に造詣がふかく、実践から生まれたのが本書である。説明ではオランダからの測量術に沿っている。平板測量を図と説明で解説している。右の図は道具を示した図であるが、上の北斎絵にも形は違うが描かれているが、用途は同じである。
 
『細井広沢(1685〜1735) 名は知愼、広沢はその号である。江戸時代における著名な書家として特に喧伝されているが、その学は経史天文暦数等に通じ又山陵修補に盡しその著諸陵周垣成就記は歴史地理研究史上著名である。享保20年12月23日卒し、満願寺に葬られた。墓は低い台石の上に高さ約2尺9寸7分、幅約9寸2分、奥行約6寸3分、頭部尖頂の棹石を立て、正面に「広沢先生細井君之墓」左側面に「豪徳院不孤有隣大居士」と刻し、裏面から左側面に亘つて銘が彫られている。』(国指定文化財等データーベース 文化庁)

 測量子道具


角度を測る………

  水平方向や垂直方向を決めるのは大方儀が使われた。左の北斎絵でも二人が大方儀で角度を調べている。中央の人物はその記録を「野帳」に記載している。江戸初期頃には、方位を計るのは「規矩元器」と呼ばれる簡単な物であったが、伊能忠敬ごろになると下図に見られるような小方儀が使用された。これは1メートルほどの棒の上に自在に動く半球を載せ水平方向の方位を計る便利な器具である。360度の目盛が刻まれており、目標物を基準器で捉えると磁針により正確な角度が判る。
  伊能忠敬はこの小方儀を樫の木で作った杖(羅鍼杖)(らしんつえ)と呼び携帯で便利であるため重宝したという。(『近世絵図と測量術』川原博忠著 古今書院 1992年刊)




左の図は享保18年(1733)に村井昌弘の『量地指南』に掲載されている測量道具類である。初期には木製であった物が真鍮製に変わっている。拡大表示 国立国会図書館デジタルコレクション所蔵

右は地形の測量方法 拡大表示

東京国立博物館・http://www.tnm.jp/   
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