玩具絵 歌川芳藤の緻密なおもちゃ木版画ー手遊び絵

「子供遊出初之図」一鵬斉芳藤(歌川芳藤)安政元年(1854)
版元・相ト江戸麹町6丁目 3枚揃い 国立国会図書館デジタル化資料
 
 

上記の浮世絵に何人子供がいるか判らない。子供の出初め式風景らしい。微笑まずにはいられない。子供向け「手遊び絵」のジャンル、一種の教える教育絵であろう。

歌川芳藤(文政11年から明治20年)
  国芳の門人である、絵は確かで構成力もある。師から毒気を抜いたようだ。「玩具絵の芳藤」として知られ、横浜絵・美人画・横濱開花絵などを描いた。緻密さでおもちゃ絵の立体組み立てものも良くした。

「FWRANWSWDIN(フランス人)遊戯」歌川芳藤(一鵬斉芳藤)文久元年(1861)版元・相ト 国立国会図書館デジタル化資料 拡大表示
浮世絵
「子供あそび」絵・歌川国郷 安政4年(1857)板行・藤岡屋慶次郎 3枚揃
  国立国会図書館デジタル化資料所蔵
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江戸時代の「おもちゃ絵」(玩具絵)について
 
  玩具絵は大人の浮世絵と共に発達してきたと考えられるが、あらゆる種類の玩具絵が創られているため分類をする事は困難である。玩具絵は大人の浮世絵ほど評価されないが、正月などの娯楽だけでなく、子供の好奇心を刺激して教育面を受け持ったことは間違いがない。現在のようにメディアがない時代に玩具絵は大きな役割を果たした。

  アン・へリング女氏は『視覚芸術の世界的水準から見てもこれほど質が高く、内容的にも”ためになる面白さ”そのものといってようぐらい豊かなものはないであろうし、子供独自の立場とものの見方を充分に心得た児童図書または教育玩具ーそれがおもちゃ絵であったのである。』(「銀花」21号 文化出版局 昭和50年)と述べられている。明治維新で外国の文化が流れ込んできても、充分に咀嚼できたのは、江戸時代に寺子屋や玩具絵などで学習意欲が培われていたからである。玩具絵は大正12年(1937)9月1日の関東大震災で終わりを告げたと言われる。しかし、子供の好奇心が消えないように玩具絵は消えずに残ったと考える。
 
  また、富山の薬売りが顧客に配ったお土産(浮世絵や紙風船など)は人気で、江戸から明治・大正と雪国の赤絵として親しまれた。赤絵は江戸浮世絵をまねしたものでなく、富山で絵師。彫り・摺りなど全てを行った独自の木版画である。詳細を見る

参照「新板纏つくし」絵・歌川芳幾 板元・高友 安政3年(1856) 国立国会図書館デジタル化資料所蔵



「銀花21号」文化出版局 昭和50年3月 特集1.おもちゃ絵 
 
右は芳藤が描く「しん板猫の大よせ」と左は「流好車づくし猫の戯」。明治時代  筆者所蔵 銀花・特集「しん板猫の大よせ」と「流好車づくし猫の戯」
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