ー大田区の道しるべ、行楽や参詣への案内「石造道標」についてー


道標(みちしるべ)について……

  江戸時代になり、徳川幕府が東海道を整備すると江戸と京都を結ぶ大動脈となった。五街道のひとつとして最重要視された。世の中が平和になると、江戸近郊への名所旧跡や寺社への参詣をする行楽が流行った。
  大田区(荏原郡)は日帰りや一泊程度の行楽の対象となり、江戸から船便で六郷に着きそこから池上本門寺などに参詣して、中原街道より江戸に帰るなど色々なコースが生まれた。この行楽・参詣の人達に目印として造られたのが、石造りの道しるべ(石造道標)である。石造道標を設置したのは日蓮宗を始めとする講中の人達である。街道からの分かれ道などに立てられた。現在、当時と同じ場所にある石造道標は極めて少なく、多くは関連の寺社・神社などに保存されている。
一番多い道標は池上本門寺を示す道標である。2008.05.13 更新

大田区の道標(みちしるべ)

01ー池上道道標―大林寺(大森)東海道

02ー古川薬師道標―古川薬師(六郷)東海道

03−秀明寺ー(未撮影)

04ー馬頭観世音供養塔―洗足池(中原街道)

05ー庚申塚―中原街道にあり、平間街道

06ー庚申塔兼道標ー東雪が谷

07ー池上道道標―平間街道

08ー光明寺道標―光明寺、平間街道

09ー庚申塔―日枝神社、池上道

10ー道標―宗福寺―田無街道

11ー鵜ノ木新道―観蔵院―鵜の木道

12ー道標―新田神社

13ー道標―十寄神社、(不明)

14ー道標―荏原商店街入り口、田無街道

15ー道標―長慶寺墓地内

16―道標―池上本門寺 大坊坂1 

17ー道標ー祖師御硯水道2 

18ー道標ー池上本門寺最古の道標

19ー道標ー出穂稲荷社(未撮影)

20ー庚申塔ー大尽坂 

21ー庚申塔ー鵜ノ木・筏道の「ぬめり坂」
 
22ー雪が谷八幡神社



中原街道の道標


〈江戸時代の行楽案内本〉


『嘉陵紀行』……将軍家斉の頃、文化4年(1807)から天保5年(1834)にかけて、江戸近郊の寺社や花を訪ねた武士がその様子を記述した本。原本は国立国会図書館に保存されており、題名は付けられていなかったが、後に『嘉陵紀行』とか『江戸近郊道しるべ』とか言われた。作者は徳川清水家の御広用人・村尾正靖(号して嘉陵)、全20巻。東洋文庫に『江戸近郊道しるべ』として現代語訳が出版されている〔1985年)

江戸名所図会』……江戸の地誌である。作者は斉藤長秋・県麿・月岑の親子三代。挿絵は長谷川雪旦、天保5年(1834)出版、7巻20冊。有名な本で親子三代で40年費やした。大田区関連では「六郷神社」「池上本門寺」「和中散」「麦わら細工」等などが収録されている。

『江戸砂子』……菊岡 沾涼著  享保17年(1732)刊。
 『続江戸砂子』…… 菊岡 沾涼著  享保20年(1735)刊。

『調布日記』……大田南畝の日誌、文化5年(1808)、 南畝60歳の時、幕府の命令で約4ヵ月、多摩川の治水状況を見て歩き著したのが「調布日記」です、多摩川近隣の様子がよく分かる。

『武蔵風土記稿』……武蔵の国・史跡や歴史を紹介、天保元年(1830)

『宿村大概帳』……幕府の道中奉行所が調査した五街道とその脇街道の宿駅の記録。全53 冊が収蔵されています。天保14年(1843)

『武江年表 』……斉藤月岑が記録した江戸の事件、風俗・流行などを記録。江戸時代の考証・研究に欠かせない著作である。嘉永2年(1849)より。


大田南畝

〈道標参考資料〉 大田区の道しるべ……「史誌12号」昭和50年(1975)

『大田区史話』大田区発行 昭和63年(1988)刊

『大田区の石造遺物』大田区教育委員会 2010年刊

『近世以前の土木・産業遺産』管理者・岡山大学名誉教授 馬場俊介
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