昭和初期〜中期の政治家大野伴睦と政界の黒幕と言われた児玉誉士夫
 

大野伴睦氏について……
 彼は力道山の後援者であり、プロレスコミッショナーも務めた、葬儀の葬儀委員長であった人物。力道山の墓近くにある。従二位勲一等旭日桐花大綬章。昭和39年(1964)死去。「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ」等の名言を残した。

虎のいる墓 大野伴睦
 写真は元自由民主党副総裁・大野伴睦の墓である。昭和期の政治家、1946(昭和21)河野一郎が公職追放にされて自由党幹事長に就任。益谷秀次・林譲治とともに「吉田茂の御三家」と呼ばれた。



児玉誉士夫氏について……
 
  明治44年(1911年)〜昭和59年(1984年)没、彼にはいろいろな名前が付けられている。日本の右翼運動家、政界の黒幕、暴力団などである。彼に大きな力を与えたのは、1938年に海軍の嘱託となり、1941年から上海で児玉機関を運営し、それをきっかけに黒幕へのし上がっていった。海軍に必要な物資(ニッケル、コバルト、タングステン、ラジウム)を納入する権利を与えられた。戦後は一時A級戦犯となるが占領軍に協力することで釈放される。その後、政治と結びつき黒幕となる。最後にはロッキード事件に関わり、判決の出る前に死亡した。


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