一恵斉芳幾は落合芳幾の齋号である。御上洛東海道では1点の制作ー


 落合芳幾は天保4年(1833)生まれ、浅草田町の引き手茶屋の子供であった。はじめ質商に奉公した後、嘉永2年頃、18才で歌川国芳の門人となる、号が一恵斎、恵斎、朝霞桜、洒落斎、恵阿弥などである。慶応2年(1866年)には兄弟弟子月岡芳年との無残絵の競作「英名二十八衆句」が発行されて人気を呼んだ。幕末から明治にかけての代表的な浮世絵師で、東京日日新聞の創刊にも新聞錦絵を描き、錦絵新聞の先駆けとなる。写真が報道性の優位から新聞錦絵に取って代わり始め衰退すると、新聞事業から手を引き、晩年は不遇であったと伝わる。

141.東海道京都名所之内 島原 不明 上州屋重蔵 未

以上1点は、タイトル『東海道中を描く錦絵の新展開ー「御上洛東海道」を中心にー』文学研究科博士過程後期課程 山本 野理子氏の論文中のリストによる。この中で国立国会図書館デジタル化資料で収蔵されている浮世絵点(赤字)を紹介する。拡大表示は題名をクリック。1点(緑字)は大正7年の豪華本『大名道中』東光園刊から撮影転載。(『馬込と大田区の歴史を保存する会』所蔵)


 
落合芳幾の新聞錦絵である。
「東京日々新聞 百十一号」掲載、転々堂主人。国立国会図書館デジタル化資料 芳年国周画帳より。
141.島原 新聞錦絵・拡大
  
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