ー明治20年(1887)と明治30年(1897)の地図で推理する大名屋敷門ー

謎の下丸子蓮光院大名屋敷門は九州豊後の佐伯藩(さいきはん)
2万石の上屋敷門である
 

 御親兵(近衛兵)の創設
 
 天皇を守る直属の軍隊(御親兵)が薩摩・長州・土州(土佐)の三藩から徴集され、兵10.000人を集め近衛連隊が創設された。宮城近く、現在の皇居前・丸の内に集められ、旧鳥取藩田家32万石上屋敷に兵部省を創設した。当時の明治政権は、不安定で不満から暴発する士族の反乱におびえていた、そのための宮城を守る近衛兵である。のち明治10年(1877)に、西南戦争が起きた事で怖れは現実となった。

 怯える政府は、明治16年〜17年(1884)にかけて測量を開始し、明治18年(1885)、地図の銅版制作に着手する。明治19年(1886)に完成した、明治20年(1997)8月2日に刊行された。ここに始めて測量による東京の詳細な地図が完成した。(浮世絵は名古屋城の御親兵)

『東京5000分の一実測図』(参謀本部陸軍部測量局)から佐伯藩上屋敷を探す……

  参謀本部陸軍部測量局作製の地図は、制作の主要目的が、宮城(皇居)を守るため東京府市街戦を想定した特異な地図である。宮城防衛のため反乱軍を攻撃する目的から「建物の形状」や「壁の構造、土壁か木造か」などが重要な軍事情報が必要である、そのために制作された地図である。勿論、軍事機密が除かれた一般向け地図が公開された。明治22年(1889)より始まる市区改正(道路整備)前の東京(江戸)の姿を示した詳細な地図である。


   下の地図写真(佐久間小路)でも、庭の池(水色)らしき部分や、大名屋敷特有な長屋が敷地を囲むように建っている事が確認される。この地図は『当時の大名屋敷の形状を知るために役立つ唯一の資料』と言われている。佐伯藩上屋敷(南佐久間二丁目)も地図では一部空き地だが、表門があったと思われる位置は、皇居側の道に面していたようだ。庭には池らしき形状と、左側には母屋らしき二棟の建物がある。
  地図上の敷地の周りの太い輪郭は藩邸の外郭長屋であると思われる。佐伯藩上屋敷は、江戸初期寛永・明暦頃には鍛冶橋門内の大名小路に確認されるが、明暦3年(1657)の明暦大火による移動で愛宕下大名小路へ移る、これ以後、江戸時代から明治まで佐伯藩の屋敷替へはなかったようである。明治4年(1871)7月14日の廃藩置県以後は、佐伯子爵邸になった。

(注)明暦の大火とは、明和3年(1657)に、本郷・小石川・麹町の三カ所から火事が起こり、江戸城の天守閣を始め御三家を含む外堀内いの大名屋敷を焼失、家康以来の市街地の60パーセントを消失した。焼死した人も10万人を越えた大災害である。これ以後、江戸城天守閣は再建されず、御三家大名屋敷も城外に移され、各藩の大名屋敷も愛宕下へ移動され、別に中屋敷・下屋敷を持つことが定められた。


 この図は大名屋敷の一般的なスタイルを示すもので、石高や敷地の形状によるため色々な配置がある。特に庭には趣向を凝らしたものがあり、庭から建物配置を決めた感じもある。一説に江戸大名屋敷の池は、江戸全体で1000箇所あったと言われる。下記の地図によってその雰囲気を味わってほしい。江戸は緑と水の豊かな都(みやこ)であった。(「千代田区の歴史」鈴木理生著 名著出版発行 昭和53年)から。


『五千分の一東京図測量原図』 東京府武蔵国芝区佐久間町及愛宕下町近隣(複製・部分)
参謀本部陸軍部測量極 明治17年(1884)原所蔵 国土交通局国土地理院
 
明治20年(1887)発行 (彩色・地形図


本図の測量は明治9年(1876)より開始され、明治10年(1877)の西南戦争により中断後、
明治14年(1881)再開、明治17年(1884)に完了した。

  拡大画面は上記にあり。
 濃い部分が、佐伯藩上屋敷(毛利安房守上屋敷)の推定位置である。敷地面積は約4382坪であるが、上の地図で見ると大名屋敷は複雑で、毛利邸の左は土方備中守(一万石)の屋敷、右は堀田豊前守(一万石)であるが、各屋敷の境(土塀)が判らない。赤枠は推定の範囲であり、各屋敷に池があるはずであり、それを基準に大名屋敷を推定した。(参照・『復元・江戸情報地図』朝日新聞社 2001年刊)

  江戸時代は愛宕下大名小路である。明治5年(1872)に南佐久間弐丁目になり、昭和22年(1947)には、旧芝区の前町名に「芝」を付けた芝南佐久間町2丁目となる。昭和40年(1965)に西新橋2丁目となつて現在に至る。

 地図の右方向が新橋、下が芝公園・麻布、左が赤坂・愛宕方向である、左下に愛宕の山が見える。屋敷上側の道が佐久間小路、下側は、神保小路である。左の真田邸は、現在の琴平町である、広大な大名屋敷(眞田邸)の様子が良く分かる。この参謀本部地図製作の目的は、不満分子の反乱を恐れた軍が皇居防衛のため、詳細な近代地図が必要とされた。参謀本部の地図には、防衛に必要な壁の強度や防衛ポイントが詳細に記載されていたと言われる。

江戸切絵図を確認すると、表門の位置は皇居に面した道(佐久間小路)であろう。屋敷の中央に庭があり池がある、おおきな屋敷には「毛利邸」の文字がある。江戸切絵図を見ると屋敷名の向きがばらばらである、不思議に思ったが、地図の名前の向き方向に入り口がある。隣と名前の向きが逆さまという事もある。入り口を探して、屋敷を一周しなくても良いように配慮されている。確かに一面合理的な方法である。

 ■明治20年、『東京5000分の一実測図』参謀本部陸軍部測量局(紙久図や京極堂 古地図CD−ROM
 次のページに『大日本管轄分地図・東京市図』明治28年の地図があります。 


『大名藩邸の構造は図の模式図のように、多くは周囲が2階づくりの長屋でとりかこまれ、一種の城郭としての性格をもっていた』(「千代田区の歴史」鈴木理生著 名著出版発行 昭和53年)。

「江戸名所道外尽 十 外神田佐久間町」絵・歌川広重 版元・辻文 辻岡屋文助 天保14年から弘化4年頃 
現在の東大赤門が門を赤く塗るのは、将軍家から姫(嫁)を迎えたことを示す。国立国会図書館デジタル化資料  拡大表示

  『大名藩邸の構造は図の模式図のように、多くは周囲が2階づくりの長屋でとりかこまれ、一種の城郭としての性格をもっていた』(「千代田区の歴史」鈴木理生著 名著出版発行 昭和53年)。
明治30年(1897)発行の地図『東京一目新図』から東京の変貌を見る……

『東京一目新図』明治30年5月19日印刷、明治30年5月22日発行、筆者・京橋区五郎兵衛町13番地 武部龍一郎、 印刷者・本所区相生町38番地 和田此太郎、発行所・本所区小泉町十七番地 田村鐵之助。 判型1009ミリ×786ミリ 建物が立体的に描かれた地図(地図所有 馬込と大田区の歴史を保存する会)

 
古写真 河原家の大名屋敷門
《移築された河原家の大名屋敷門》


左の写真は最近発見された。明治31年(1898)に河原家自宅前に移築された大名屋敷門である。おそらく、昭和初期頃の写真であろう。杉原庄之助氏が絶賛する豪壮な建築美である。写真を見ると右の坂を登って門に行くようである。この門は、現在下丸子の蓮行院にある。

参考・大正後期の馬込地区    

大正11年(1922)の地図を見る。


変貌する明治30年(1897)の東京……一目でわかる東京地図
 地図には、制作者岩橋章山識が、地図を作るに際して留意した点を記している。『下敷きにした参照地図は、参謀本部二万分の一を参照にした「東京郵便電信局分図」、「市区改正図」、「内務省五千分の一地図」と書き、市内の建物、官庁・学校等を描き込んで案内になるようにした』と書いている。

  市内を俯瞰した地図で、建物は立体的に描かれている。皇居を中心にしており、佐久間1〜2丁目は、南佐久間町と改称している。明治22年(1889)5月東京市誕生、それより始まった市区改正(道路整備)の変貌を反映した地図であろう。佐久間町辺りの変化も激しく、大名屋敷の庭や池は、整地されたようで見当たらない。しかし、道路整備は、大きな道路から始まったようで、道に面した所から町屋に変化している。明治45年(1912)頃の地籍台帳地図で確認される小道(南佐久間二丁目内)はない。いつから小道建設が行われたか資料は見いださないが、明治31年(1898)、馬込中丸の河原氏に屋敷門を譲り渡すまで、屋敷門は元の場所にあった考えても良いようだ。

『東京一目新図』は復刻版で、古地図史料出版株式会社から発売された。現在でも同社にあり、明治36年(1903)発行の東京15区地図セット(各区ごと15枚)がある。住所・東京都東久留米市幸町5-2-2 電話・0424-76-1525


《愛宕山から見た大名屋敷風景、おそらく皇居・日比谷方向か》

幕末日本図絵・愛宕下大名屋敷の風景(E・テロン)、下記の「愛宕山」カタログにもあり


本明治30年(1897)の地図で判明するように、愛宕山は我々が想像するより高く、標高は924メートルである。今より広い場所を占めていた。江戸時代を通しての名所である。愛宕山に登ると、前景には、大名小路の大名屋敷が広がっていた。幕末や明治にやって来た外国人の多くが、愛宕山に登り、江戸から明治への変化を目にしたであろう。外人カメラマンの多くが、ほぼ同じ位置から撮影している。

 愛宕山から見た新橋方向(右側)写真には、明治26年から28年(1895)頃には二階建ての商家が写っている。まず、大通りに面して商家などをつくり、後から裏側に路地を作り、庶民の家を囲むように開発したようである。上記の『東京一目新図』を見ると、その様子が良くわかる。右の『愛宕山』カタログは、大変楽しい役に立つ本である。
平成23年度 特別展カタログ『愛宕山ー江戸から東京へー』港区立港郷土資料館発行
   発売 平成23年(2011)

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