ー子供や大人達に夢を与え、時代を超えた作家・宮沢賢治ー
宮沢賢治の死後に発見された自筆のノート
 「雨にもまけず」の詩

『教職を辞した宮沢賢治は大正十五年、農村における芸術の実践という理想を掲げ、死去した妹トシが療養した実家の別荘を改装してひとり暮らしを開始。畑を耕したり、近くの村へ農業指導や肥料相談に出かけたりする日々をスタートさせます。そして八月には、羅須地人協会を立ち上げます。ときには彼を慕ってやってくる者たちと音楽の練習をしたり、レコードコンサートを開いたり、近所の子どもたちを集めて自分の童話や外国の童話を語り聞かせたりと、芸術教育の実践も試みていました。また賢治が講師となり、トルストイやゲーテの芸術の定義や、農民芸術、農民詩について語りあうなど、大学のゼミナールのようなことも行っていたようです。』(引用・WEB『NHK100分de名著 宮沢賢治スペシャル』より)


  写真・宮沢賢治
宮沢賢治は熱心な日蓮宗徒であった……宮沢賢治の生涯と日蓮宗

 宮沢賢治は、明治29年(1896)岩手県中西部の稗貫群里川口村川口町(現・花巻市)に生まれる、当時の人口は3000人ほどの小さな町である。生家は地域の旧家で古着商を商う、浄土真宗を信じる裕福な家庭であった。母イチからは年少より『ひとというものは、ひとのために何かしてあげるために生まれてきたのス』と聞かされて育った。少なからず賢治の思想形成に影響があったと思われる。また、賢治も年少より浄土真宗を信じていたと思われる。その賢治が盛岡中学に入学した頃より、浄土真宗に疑問を持ち始めたと思われ、島地大等編『漢和対照、妙法蓮華経』を読んで感動し、法華経に傾注していったと思われる。

 宮沢賢治と国柱会の出会い……賢治が信仰した国柱会

 国柱会資料によると賢治は、『盛岡高等農林学校農学科第二部(現岩手大農芸化学科)に進学してからは、いよいよ『法華経』の信仰が深まった。賢治が国柱会に入会したのは大正9年で、同年12月2日付の友人保坂嘉内あての手紙に、「今度私は国柱会信行部に入会致しました」と記載、賢治は『法華経』の信仰と科学の一如を求めたが、そのことは数多くの作品にも反映している。稗貫農学校(現花巻農業高校)の教諭時代、「植物医師」「飢餓陣営」の作品を監督して上演していたのは、国性芸術から影響されたものであることは確かである。』、後に賢治は農学校を退職して「羅須地人協会」を設立する、賢治が信仰した国柱会とは如何なる理念をもつ会であるのか。

日蓮聖人の目指すものとは何か……
『日蓮は一宗一派の祖師ではなく、世界人類を救うために日本に出現した本化上行菩薩と仰ぎます』(『日蓮を読み解く80章』監修・浜島典彦 発行・ダイヤモンド社  2016年)

 国柱会は、明治17年(1884)に田中智学(たなかちがく)によって始められました。当初は「立正安国会」と称し、大正3年(1914)11月、全国の組織を新たに統合して「国柱会」と改めました。その名称は日蓮聖人の『開目抄』に記された、「われ日本の柱とならん」に由来しています。国柱会の主義主張は、「純正日蓮主義」ということになります。日蓮聖人を単なる宗祖と仰ぐのではなく、人類の根本救済を目指す、本化上行菩薩と仰いで、聖人の正しい教えを広める活動するものです。

日蓮聖人の宗教を現代に再現し、時に応じて正しい信行の軌道と目標を明確に教示くだされたのは、田中智学先生です。また、彼は第二次世界大戦に使用された『八紘一宇』の標語も創りあげた。

八紘一宇とは、国柱会のホームページより
『日本という国は、日本だけの為でなく帝室や民族のためだけでなく、世界人類の絶対平和を建設するために建てられた国だといふことは、国祖神武天皇の御詔勅に明白である。八紘一宇(世界中一軒の家といふこと)六合一都(世界中を一つ国とする事)と仰せられた。神武天皇は、武力をもって他の国を奪って自分のものとしようといふのでなく、世界中を一つの正しい道で繋いで、同じ道を奉じ同じ心になる様にして、世界中の人類を、「大きな一人」としよういふ思し召しである。』
  この考え方が、時代や個人により使われ、過激な思想となり日本の軍人の精神的な支柱となった。これが国柱会を嫌う原因であると思う。しかし賢治は暴力や権力で世の中を変えようとは思わず、文学で理想郷を目指した、その事は「雨にもマケズ」を読めば理解される。私はそう思う。

国柱会では本化上行菩薩について
 国柱会の主義主張は、一言で示せば、「純正日蓮主義」ということになります。日蓮聖人を単なる宗祖と仰ぐのではなく、〈閻浮(世界)一聖〉すなわち末法人類の根本救済を任務として日本に出現された本化上行菩薩と仰ぎ、聖人の正しい教えを宣揚するものです。
 また、次のようにも説明しています。国柱会の久遠実成の本仏である釈迦が、何度も生まれ変わって人々を救おうと導いてきた功徳(恵み)のすべては「妙法蓮華経」の五字にそなわっており、私たちが『法華経』を受持すれば自然にその功徳を拝受することができると言う。この上行菩薩ご自覚に立たれて、自分本位の考え方になっている現実の世界に、お題目を弘め救済されましたのが、日蓮大聖人であります。(国柱会資料)

 宮沢賢治が目指した法華文学とは……
 宮沢賢治は、『高知尾智耀講師から「法華文学ノ創作」をすすめられ、筆耕校正の仕事で自活しながら文芸による「法華経」の仏意を伝えるべく創作に熱中する。『出家して僧侶となり仏道に専注するのが唯一の途ではない、農家は鋤鍬をもって、商人はソロバンをもって、文学者はペンをもって、各々その人に最も適した道において法華経を身によみ、世に弘むるというのが、末法における法華経の正しい修行のあり方である、詩歌文学の上に純粋の信仰がにじみ出るようでなければならぬ』ということを話したように思う。

 『創作そのものが、法華経を取り扱っているとか、仏教信仰を材料として取り扱っているとかいうのではない。童話であろうが、心象スケッチであろうが、短歌、俳句であろうが、法華経の正しい信仰をもった作者が、その信仰のやむにやまれぬ発露として表現された芸術的作品を、法華文学といったように思う。すなわちその作品の材料と共に、それらをとりあつかった作者の心的作用が非常に重んぜられている。これが、賢治の目指した法華文学であったと思う。』(高知尾智耀講師の話、国柱会資料から)

宮沢賢治は故郷の実家に帰る、彼の臨終には父親が立ち会った。

『お父さんが、最後に何かいい残すことはないかといわれたところ、私の死後、『国訳法華経』を1000部印刷して私の知己朋友に贈って頂きたい、そしてその本の終わりに、下記の言葉を印刷して貰いたいと口述したという。
『合掌 私の全生涯の仕事は、此経をあなたの御手許に届けそして其中にある仏意に触れてあなたが無上道に入られん事を御願ひするの外ありません。 昭和八年九月二十一日』                                        臨終ノ日ニ於テ 』
宮沢賢治の法名「真金院三不日賢善男子」は国柱会からの授与である。宮沢賢治の遺言は実行され、各方面に1000部配が布された。』、少なからず反響があったと言われる。(高知尾智耀著『わが信仰わが安心』真世界社刊より)

 宮沢賢治の実弟である宮沢清六氏は、下記のように書いている。
『父は「遺言することはないか。」と言い、賢治は方言で「国訳妙法蓮華経を一千部おつくりください。表紙は朱色、校正は北向氏、お経のうしろには『私の生涯の仕事はこの経をあなたのお手もとに届け、そしてその中にある仏意に触れて、あなたが無上道に入られますことを。』ということを書いて知己の方々にあげて下さい。」と言った。』(『兄のトランク』宮沢清六著 (株)筑摩書房刊 1991年)

『新書で入門 宮沢賢治の力』山下聖美著 新潮新書 2017年
 
宮沢賢治を知ろうと思うと大量の宮沢賢治本と出会う。基本的な事を押さえないと迷路に陥る。そこでNHKの100分de名著の宮沢賢治本から入った。著者は最初にこう述べている。
『賢治の伝記には、そんな作品世界に沿うように意図的にゆがめられてきた一面がある。それゆえに、ある人は賢治を天才と呼び、ある人は聖人と崇め、またある人は変人と突き放す。ちまたに数多の賢治本が存在するが、これらは研究者だけでなく熱心な愛好者たちの主張の玉手箱であり、いまも着実に増殖を続けている。』また、筆者は『賢治像を構築してきたエピソードの数々が嘘であると言わないまでも、誇張による曲解が行われてきたことは確かである』と記している。

  意図的に歪められた一面とは、法華経の国柱会に入信したことが文学者達に忌避されたのであろう。史実では、大正9年(1920)賢治は国柱会に入会する、国柱会は「純正日蓮主義」を標榜し「立証安国論の実現」を目指す会である。国柱会で使われた『八紘一宇』の標語が、第二次世界大戦で軍部の精神的なバッボーンとなったことが忌避され、国柱会へのアレルギーとなっているようである。軍人は大日本帝国の野望を八紘一宇の標語に求めたが、賢治の目指した法華文学は軍部が言う世界と違い、「人のためになる」という純粋な気持ちに違いない。国柱会への熱烈な信仰は、妹トシの介護のため東京を去ったことにより冷めてゆく、しかし終生日蓮宗への信仰は変わらなかった。

「賢治は音に敏感であった」山下聖美氏は言う。賢治は五感が鋭かったのか?
『賢治の描く音はとてもリズムカルで、一度読むと忘れられない。話の内容は覚えていなくとも、この響きだけは覚えているという人も意外に多いのではないか。賢治作品は読者の聴覚に訴える不思議な響きを持っている。』この視点は面白い、確かに彼の文章には面白い擬音が多い。 

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