墓の主はよほど蛇が嫌いの俗説を生んだ
堀を巡らした万両塚・永寿院
万両塚写真
 ●永寿院
 日蓮宗東京都南部宗務所の解説によれば、『5世日秀の代、養珠院(お万の方)の孫芳心院妙英日春大姉(宝永5戌子年日11月28日没)は鳥取城主池田(松平)光仲室、徳川頼宣の娘(茶々姫=因幡姫)で日秀に深く帰依しこの頃に永寿院と改称された。』と記載されている。場所は池上本門寺五重塔の裏側になり、池上本門寺遺跡群に位置しており、弥生時代の遺跡があった。

万両塚全体写真
永寿院にある堀を巡らした広大な領域を持つお墓、池上本門寺でも綺麗な宝塔である。
墓の主は養珠院の孫、芳心院である(徳川頼信の娘、相州松平因幡守光仲室)、彼女は生前から蛇が嫌いで死後も蛇を寄せ付けないように水を湛えた二重の堀を巡らした。その費用は一万両に及んだと称され俗に「万両塚」と呼ばれている。宝塔基礎石背面の銘文には、芳心院の「逆修七分全得」(生前に墓をつくるなどの善行を積めば、七つの功徳全てを得ることができる)が記されています。都の文化財指定を受けている。墓は永寿院の裏側にある。
2003年の調査で堀に水があった形跡はなく、最初から空堀であったようだ。蛇嫌いとは俗説のようだ。


万両塚写真

堀におりる階段、堀の深さは1.5メートルほどか。上の写真は集められた墓石と壊れた墓石には、獅子頭がついていた。芳心院縁の人や侍女達の墓。


右の写真は復元された弥生時代の住居跡。
弥生時代の住居

遺跡から馬具が出土
 
最近、2003年終了した調査では、万両塚の周囲から、弥生時代中期〜後期の竪穴住居跡が10棟も出土した。また、右の写真後方住居あたりより(堤方権現台古墳)、馬の尻部分を飾る馬具が見つかった、およそ6世紀前半と見られている貴重なものである。昭和7年(1932)の宅地造成で遺跡は破壊されたようだが、都内では狛江市に次2例目であると言われる貴重なものである。

全景写真
東京都大田区池上1−19−10
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